2022年2月17日木曜日

大洪水の真相(5)~クリスチャンを悩ます「聖絶」の問題


もう1つクリスチャンを悩ますのがカナン人の「聖絶」問題です。なぜ、女、子供までの皆殺しを神が命じるのか・・?その徹底ぶりは非情ですらあります。カナン人たちは偶像礼拝に染まり、それに伴う性行為で性病が蔓延していたということもあるでしょう。しかし、それだけが理由でしょうか?しかし、ここにもDNAの問題が絡んでいるとすれば・・・

 

 

異邦人との雑婚だけが原因?

ハムの子孫が背の高いカナン人です。(創世記10:18)カナンの住民は根絶やしにするよう神から命じられます。(ヨシュア記6:21、9:24)なぜ、この時だけ神は、ノアの洪水の時のように、非情なまでの「根絶=聖絶」を命じたのでしょうか。(申命記7:1−2、24−25)実際、聖書を通して「根絶=聖絶」は「ノアの洪水」とこの「カナンの住民」(ソドムとゴモラ含む)のケースのみです。2つは関連していると言えないでしょうか?

 

確かにカナン人は偶像に染まっていて危険でした。しかし、イスラエルが異教宗教の象徴であるバビロンに捕囚になった時でさえ、バビロンの民を聖絶せよと神は命じていません。バビロンの偶像を焼き払えとも命じていません。同じ偶像の民なのに、なぜカナンの場合は「聖絶」なのでしょう。(民数記33:51—52)

 

バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちは、早くも異邦人の女と関係を持ち始めていました。当然、ネヘミヤなど指導者から厳しく咎められたものの、(ネヘミヤ13:25−26)「離婚」し、「罪過の捧げ物」をすることで解決しているのです。根絶=聖絶ではありません。(エズラ10:19)「大洪水」や「カナンの聖絶」と比べると処置のスケールが、かなり軽いのです。

 

神の気まぐれな判断でしょうか?いえ、当然、そうする必要があったのです。つまり、ネフィリム遺伝子の根絶です。巨人を一掃する意味はそこにあったのだと思われます。

 

さらに、父親の裸を見たはハムは呪われるのですが、「ハムは呪われよ。」ではなく、「カナンは呪われよ。」とあります。(創世記9:25)これも不思議な書き方ですね。もし、ハムの子孫すべて呪われているとすると、現在のアフリカの人も呪われていることになってしまいます。しかし、聖書は「カナンはのろわれよ。」なのです。呪いはカナン(ネフィリム遺伝子)の根絶で終わります。

 

信仰の勝利

神はなぜ、ネフィリムの子孫を洪水後も生かしておいたのでしょうか?ダビデの兄弟は皆、ゴリアテを見て震えあがりました。ダビデはイスラエルの神に信仰を置いて戦いに出て行きました。メシアの血筋のダビデとヘビ(サタン)の子孫のゴリアテが1対1で戦ったのです。そして、創世記3:15の預言通り女の子孫はヘビの子孫であるゴリアテの「頭を打った」のです! IIサムエル21:18−22を見ると、ラファ(巨人)の最後の生き残り4人が、ダビデとその家来によって倒されていることが記されています。女の子孫の勝利です。

 

あなた方がよく知っているアナク人は、大きくて背が高い民である。あなたは『誰がアナク人に立ち向かえるだろうか』と言われるのを聞いたことがある。・・・あなたの神、主ご自身が焼き尽くす火としてあなたの前を進み、彼らを根絶やしにされる。(申命記9:2−3)

 

あの時代では強い戦士ほど恐ろしいものはなかったでしょう。敵が強いということは、自分の領土の喪失、財産の喪失、家族の喪失につながるからです。神への「信仰」を通して「最強の戦士」にも勝てるという信仰の訓練と実地体験受けることは、神の「選びの民」にとって必要だったのではないでしょうか。(ヨシュア14:9)反対に主が共におられないなら勝利は無いのです。(民数記14:42)カナン征服は自分たちの力では不可能でした。約束の地に導くのは神なのです。全能なる神への信頼で、不可能が可能となるのです。当時の世界の最強の存在である巨人たちを神が打ち倒したのを見て、周辺の民はイスラエルの力強い神を認め、恐れたのです。

 

神の約束は実現するのです。信仰のないものは「背信の責め」を負い、シナイの荒野で屍となり、約束の地には入れませんでした。(民数記14:33)

 

終わりの時代、大患難時代に「獣」と言われる「反キリスト」の出現を、神はなぜ許すのでしょうか? 「獣」はサタンの化身です。その時代、地球規模の経済力、軍事力を掌握した「獣」ほど力強い存在は地上にはいなくなるでしょう。いわば、患難時代のネフィリム(無敵の巨人)です。同じことです。サタンが最後のあがきをして人類を破滅させようとしても、イスラエル民族を抹殺し、再臨を阻止しようとしても、キリストは再臨し、反キリストは滅ぼされ、最後はサタン自身も滅ぼされます。(黙示20:10)神は常にサタン計画の上を行かれるのです。勝利は主にあるのです。

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参考資料

Judgment of the Nephilimm by Ryan Pitterson

 


 

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執筆者:栗原一芳

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