2022年8月4日木曜日

奥義としての神の国


新約が語る「奥義」

新約聖書には「奥義」という言葉が出てきます。パウロはよくこの言葉を使っています。奥義とは、旧約時代には隠されていたが、新約に入り啓示された事柄です。(エペソ3:3−5)例えば・・・

 

  異邦人とユダヤ人によるキリストの体としての教会(エペソ3:6)

  内住のキリスト (コロサイ1:27)

  携挙で、一瞬に変えられる肉体(Iコリント15:51−52)

 

どれもユダヤ人には驚きの内容だったでしょう。異邦人がメシアに連なり、共にキリストの体となり、共に「御国」の相続人になるなんて!(ローマ8:17)異邦人もキリストを信じると「御霊」を頂けるなんて!(使徒10:45、15:8−9、ローマ8:15−16)

 

「神の国」は先延ばしに

ユダヤ人にとっての関心は「メシア」がもたらす「神の国」でした。ユダヤ人向けに書かれた「マタイの福音書」には「天の御国=神の国」という用語がたくさん出てきます。バプテスマのヨハネのメッセージは「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから」(マタイ3:2)でした。イエスご自身も宣教を開始した時、「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから」(マタイ4:17)と語りました。「御国の福音」を語ったのです。

 

しかし、イスラエルは、メシアなるナザレのイエスを拒んだので、福音は異邦人に向けられていきます。国家としてメシアを拒んだ罪のゆえ、AD70にエルサレムは破壊され、ユダヤ人の世界への離散が始まります。イスラエルの再興どころではありません。(使徒1:6)逆に、国を失ってしまったのです。しかし、イエスは、イスラエルの再興を否定したのではなく、「今」ではない、父がその時をご計画なさっていると語っているのです。(使徒1:7)それはキリストの再臨後に地上に「メシア王国=千年王国」として成就するのです。しかし、その「間」はどうなるのでしょうか?

 

 

「奥義」としての「神の国」=「教会」

ユダヤ人のメシア否定により福音は異邦人世界へ向かいます。地上の神の国=御国は後回しになったのです。しかし、奥義としての「神の国」が成就しました。それが異邦人とユダヤ人が共にキリストに連なって形成される「キリストの体」すなわち、「エクレシア=教会」です。これを「教会注入説」という場合があります。旧約聖書には新約の「新しい一人の人」(エペソ2:15)としての「教会」は出てこないので、ユダヤ人は戸惑ったに違いありません。旧約では「神の民=エクレシア=選民」だったからです。ただ注意深く読めば、アブラハムの子孫から出るキリストを通して世界すべての人に祝福が及ぶことは預言されていました。(創世記12:3、使徒15:17)

 

「麦と毒麦」の話(マタイ13:24—30)

「天の御国」の説明箇所です。イエスご自身が解説をしておられます。(マタイ13:37−43)この話は、御国の子供たちがいる世界に、悪魔が「毒麦」を撒く話ですね。つまり、「今」の時代のことです。メシア王国=千年王国では「底知れぬところ」でサタンは縛られているので、サタンは地上にはいません。(黙示20:3)また、「新天新地」はサタンが滅ぼされた後(黙示20:10、21:1)到来するので、そこにはサタンはいません。

 

しかし、この話ではサタンは活動しています。今の時代はサタンが信者に攻撃をしていることが日常的に起こっています。(Iペテロ5:8)だから新約の著者は悪魔に立ち向かうように命じているのです。(Iペテロ5:9、ヤコブ4:7)サタンが活動しているのは「今」の時代なのです。従って、この「天の御国」は今の時代のことを描写していると言えます。ここでの「天の御国」は「教会時代」の宣教のことを描写していると考えられます。

 

「からし種」の例えは天の御国が爆発的に成長する様子が描かれています。(マタイ13:31−32)正に、使徒1:8ですね。エルサレムで始まった福音宣教が実を結び、世界へと神の国=教会が広がっていきます。新天新地では宣教の必要はもう無いので、神の国の拡大はありません。

 

次の「パン種」の例えにあるように、成長過程で、「間違った教え=パン種」も教会に紛れ混んで広がっていきます。(マタイ13:33)

 

このようにマタイ13章で語っている「神の国」は天国ではなく、「今」の時代のことです。「天の御国」がもし、「天国」なら、天国に間違った教え=異端、やサタンが存在することになってしまいます。従って、ここでの「天の御国」は奥義としての御国、すなわち、教会のこと、あるいは「教会時代」のことを指していることが分かります。

 

4つの種の話=今の時代の伝道

有名な「4つの種の話」も教会時代の様子を描いています。なぜならメシア王国、新天新地では「伝道」は必要ないからです。ノンクリチャンはそこにはいないのです。「4つの種」の話は。正確には「4つの土壌」の話です。種は「福音」で同じです。ただ、土壌=聴く人の心の状態が違うのです。今の時代、伝道すると正に、このような4つの反応があります。

 

1)      福音の種が撒かれても拒否するので、サタンがすぐに取り去ってしまう。

はい、ここでもサタンが活動しています。今の時代だからです。

 

2)      2)〜4)は種が芽を出すので、救われている人です。しかし、根がな

いので、枯れてしまったり、この世の心遣いと富の惑わしに心を奪われ成長できないクリスチャンとなることがあります。しかし、良い心の人は30倍から100倍の実を結ぶようになります。

 

この世の心遣いや富の惑わしがあるのは「今」の世です。天国ではありませんね。つまり、ここでの神の国とは「天国」ではないのです。正確には死んで直行する「パラダイス」でもないし、再臨後地上に成就する「メシア王国=千年王国」でもないし、ましてや最後の審判後、訪れる「新天新地」でもないのです。もちろん、それらも「神の国=御国」です。しかし、ここでイエス様が語られているのは「今」の時代の「神の国」、すなわち、「教会」のこと、あるいは「教会時代」のことです。厳密に言うと、神の国=神の支配なので、神の国=教会ではないが、エクレシアがキリストの充満であることは確かだろう。(エペソ1:23)

 

イエスご自身が語られました。神の国は、すでに来ているのです。(ルカ11:20)「キリストの体」である「エクレシア=教会」が地上に存在しているからです。教会のかしらはキリストです。教会はサタンを一時的に追い出す権威があります。しかし、抹殺することは、まだできません。神の国は「もう」来ていますが、「まだ」来ていないのです。その「間」が今の「教会時代」です。イエス様ご自身、これを「天の御国の奥義」と呼んでいます。(マタイ13:11)弟子たちだけにイエスはこの「奥義」を前もって語られたのです。また、「神の国」を「今」の時代だけで完結してしまうと、「再臨」の意味が薄れてしまいます。神の国はキリストの地上再臨により完成します。

 

 

地上の教会の誕生、使命、寿命

それでは「教会時代」とは、どの期間のことでしょうか。教会の誕生「ペンテコステ」(使徒2章)から教会が天に挙げられる「携挙」(Iテサロニケ4:16−17)までと言えるでしょう。

 

では「教会=キリストを信じる群」の役割とは?イエス様の3つの命令に沿って考えてみると・・・(マタイ22:38−40、マタイ28:19−20)

 

  神を愛する 賛美の群れ、礼拝者の群れ

  人を愛する まずは信仰の家族へ、そして隣人へ

  弟子を作る 伝道し、神の支配(御国)を広げる

 

神は「回復の神」、「癒しの神」です。サタンと人の罪によって乱された、この被造世界を回復させようとしておられます。そのベクトルに従って、クリスチャンは、この地上で「神と人」、「人と人」、「人と被造物」との関係修復に努め、シャローム成就に努めます。だから社会的ニーズに対する諸ミニストリー(ホームレス、ファミリーライフ、フリースクール、子ども食堂、自殺防止、高齢者ケアなど)は、この「癒し」、「回復」のコンテキストの中で大事なのです。神がなさっていることに、私たちも参与するのです。やがてメシア王国が到来した時、王なるイエスと共に聖徒たちも王として地を治めるのです。(黙示20:5−6)ですから、今の時代は言ってみれば「見習い期間」です。王の仕事を助けながら習得しているのです。

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

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