2022年8月18日木曜日

愛という名による監視と支配

 

愛という名による監視と支配

数ヶ月前、現代思想入門(千葉雅也)を読んだ。ダリダ、ドゥルーズ、フーコーのフランス現代思想。二項対立を脱構築。同一性より差異。逃走線を引け。接続と切断。ふむふむ・・・結構好きなんです、こういうの。しかし、今回、心に留まったのはこのフレーズでした。

 

「関わりばかりを言い過ぎると、それによって監視や支配に転化してしまうという危険性があって、それに対するバランスとして、関わり過ぎないということを言う必要もある。」(P.75)

 

「愛」は支配、監視となり得るということ。ストーカーは愛するゆえに「監視」する。相手を支配しようとする「愛」は自己愛の延長だろう。従って、それは行き過ぎであり、自己中心なのだ。哲学者は言う。「接続」と「切断」のバランスが必要だと。

 

本当の愛は支配しない

本当の愛は、適当な距離を保つことであり、支配しない。監視しない。お互い「大人」としてプライバシーや自由を尊重する。友達でも夫婦でも、関係を長引かせるには、これが重要だということだ。べったりしすぎると仲いいように見えるが、結局「共依存」となり、重荷となり、結局、傷つけ合うようになる。

 

多くの場合「好きだ」、「愛してる」という告白は、「自分の欲求を満たしたい」、「支配したい」、「監視下」に置きたいということに他ならない。(IIサムエル13章のアムノンのタマルに対する想いは参考になる。)

 

我々は「信仰」によってイエスを信じる。強制ではない。イエスの弟子たちは皆、自分の意志で従っていた。それはすべて、先行する神の愛への自由な応答だったのだ。(ローマ5:8、Iヨハネ4:10)

 

教会がカルト化するとき

しかし、どうだろうか、カルトはもとより、福音派と呼ばれる教会でも「牧会ケア」という名の下に信徒の監視、支配が行われていないだろうか。牧師への服従が神への服従と見なされ、結婚から職業斡旋まで牧師の指示に信徒が従う教会を見たことがある。それでは思考停止の牧師依存になってしまうだろう。

 

そのうち指導者に違う意見を言う事ができなくなる。一種の相互依存が起こる。「支配者」は「被支配者」がいなければ存在できない。どちら側にもニーズがある。聖書をコツコツ学ぶより、カリスマ指導者の言うことを聞いていた方が楽なのだ。そのようにして、ますます依存度が高まる。

 

一方、こういう権威をかざしたがる指導者はセルフイメージが低く、承認欲求が高い。そして、精神的に不安定 (insecure) なのだ。信徒に崇められることを欲する。また、自分や自分の教会から信徒が去ることを極端に恐れ、そうする信徒は「呪われる」的なことを言ったりする。しかし、イエスは真実を語った故に去って行く弟子は自由に去らせている。(ヨハネ6:66)また、ユダにはご自分を裏切る「自由」さえ与えておられた。(ヨハネ13:27)

 

「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。」

IIコリント3:17)

 

「自由」は健全さを測るバロメーターだ。「愛」と「自由」はコインの裏表。「あの集会に行くな、あの本は読むな、あの人と関わるな」など規制をしてくる時は要注意。縛り、縛られる関係、風通りの悪い、閉鎖環境は健全ではない。

 

「教会がカルト化するとき」(ウイリアム・ウッド著)によると、カルト化した団体の特徴は・・

 

1.      指導者が権威主義的になっている

2.      マインドコントロール的手法が用いられている

3.      極端な排他性が見られる

4.      具体的な被害が出ている

 

そこには他者を生かす「愛」が無いから、「自由」も無いだろう。

 

 

どうしたらカルト化から守られるのか?

何よりも正しい「神観」を持つこと。神の御子に対する正しい信仰と知識を持ち、キリストにあって成熟した「大人」となること。そのためにはスモールグループでのバイブルスタディは大変有益です。教えの風に吹き回されないようになること。それを助けるのが霊的リーダー達なのです。周りのクリスチャンが大人になるのを助けるのであり、いつまでも子供扱いして自分に依存させるのではありません。

 

こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。  (エペソ4:11−15)

 

神との健全な関係を持つことが極めて大切です。あなたの神との関係は営業成績で決まるような「会社的」なものですが、それとも愛と信頼に満ちた「家族的」なものですか?あなたは自由ですか?何か神のために奉仕をしてないと、罪悪感や不安が湧いてきていませんか?神に愛されるには自分は足りないと思っていませんか?そうすると「行いによる救い」へシフトしてゆくのです。カルトはそこにつけこむのです。真理はあなたを縛るのではなく、あなたを自由にするのです。(ヨハネ8:32)もう一度、この聖句を読んでください。

 

「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。」

IIコリント3:17)

 

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関連資料

「教会がカルト化するとき」ウイリアム・ウッド著 いのちのことば社

 

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東京メトロ・コミュニティ

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

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