2023年12月21日木曜日

悔い改めない人々


悔い改めない人々

人々は終末に向けて、いよいよ頑なになるようだ。黙示録16章からは、神の憤りが極まり、最後の熾烈な「7つの鉢の裁き」が始まる。まず、知るべきは「万物の主=全能の主」が下す裁きは理不尽なものではなく、正しいという事だ。

 

「しかり。主よ、全能者(万物の主)なる神よ。あなたのさばきは真実で正しいさばきです。」                  (黙示録16:7)

 

命の提供者である創造主だけが、命を奪う正当性と権利を持っている。

 

第四の鉢が注がれる。

 

第四の御使いが鉢の中身を太陽に注いだ。すると、太陽は人々を火で焼くことを許された。こうして人々は激しい炎熱で焼かれ、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名を冒瀆した。彼らが悔い改めて神に栄光を帰することはなかった。 (黙示録16:8−9)

 

裁きの結果は、悔い改めるどころか、人々は神の御名を冒涜する。次に第5の鉢が注がれる。

 

第五の御使いが鉢の中身を獣の座に注いだ。すると、獣の王国は闇におおわれ、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。  そして、その苦しみと腫れもののゆえに天の神を冒瀆し、自分の行いを悔い改めようとしなかった。 (黙示録16:10−11)

 

今度も、人々は悔い改めず、神を冒涜している。何という頑なさ!実は、これ以前に、イスラエル12部族の14万4千人が世界に派遣され福音を伝えている。(7章)また、エルサレムでは二人の証人が証をしている。(11章)最後は御使が世界を飛び回り福音を伝えている。(14:6)それらがあって、この裁きなのだ。神はチャンスを与えたが、人々はますます悔改めようとはしない。1つの嘘をつくと、さらに嘘をついて頑なになるように、人は拒み続けると、ますます頑なになっていくようだ。

 

イスラエルのケース

イスラエルの歴史から学べることがある。イスラエルは創造主に特別に扱われた民だった。あわれみをかけられた民だった。

 

  神に選ばれ、神が預言者を通して民に語り、律法により御心を知るすべが与えられていた。

  約束の地に入る直前に、イスラエルの新世代に律法を復習させ、従えば「祝福」、従わないと「呪い」という神の契約を明確に諭した。(申命記) 

  それにも関わらず、イスラエルの民は堕落し、周辺諸国の偶像を拝み、不従順となり、そして反抗する民となった。(エゼキエル3:9)

  それでも神は反抗する民に終日、手を差し伸べた。(ローマ10:21)

  しかし、民は、神が送った預言者の声さえ無視して効かなくなる。

  ついには、神は契約通り実行する。イスラエルの民は土地を失い、バビロンに捕囚となる。自分の国を失い、異邦人の地で暮らすことを強いられる。

 

語っても聞かないと痛みを通して従順を学ぶことになる。大患難時代の裁きは

「封印の裁き」が7つ、「ラッパの裁き」が7つ、そして「鉢の裁き」が7つ、合計、21段階ある。ノアの洪水は1度で地上のすべてが滅びたが、言ってみれば、終末時には21段階あり、それだけ悔い改めのチャンスが与えられているとも言える。神は最後の最後まで手を救いの手を差し伸べるが、人々はそれを拒み続ける。



 

患難期後半では、もう確信犯だろう。裁きの災害が神から来ていることを知りつつも、神を呪い、冒涜している。災いのルーツが神であることを知りつつも、「獣=反キリスト」を王として崇め、付き従っている。

 

礼拝するものに似たものになる

「朱に交われば赤くなる」という言葉がある。悪い仲間といると、彼らのようになっていく。キリストを崇め、キリストを崇める人々(エクレシア)と共にいると聖霊が働き、キリストの似姿に変えられていく。柔和さや愛情に満ちた顔になっていく。祈っている人の目は清く澄んで清々しい。反対に、サタンを崇め、サタンに従う人々と共にいると悪霊が働き、サタンに似たものに変えられていく。淫行、深酒、ドラッグ、占い、悪魔礼拝している人々の目つきは悪くなり、顔は醜くなる。

 

サタンは決して悔い改めない。キリスト再臨時にハルマゲドンの戦いで、反キリスト軍は全滅する。そしてサタンは1000年間縛られる。しかし、その後、解き放たれた時に、再びキリストの支配に反対する人々を率いて、エルサレムに攻め入ろうとするのだ。(黙示録20:7−8)何という頑なさ!1000年間、反省する時間が与えられても悔い改めない。ある意味、人となったサタンである「獣=反キリストという人物」に従う人も同じだ。彼らの主人であるサタンと同じく悔い改めず、神を冒涜し続ける性質に変えられてしまう。何と恐ろしいことか。そして、サタンに従うなら、その最後の運命も、サタンと共にすることになる。すなわち「火と硫黄の池」だ。(黙示録20:10〜15)

 

今日は救いの日

人々はどんどん頑なになる。そうであれば、「今」がチャンスなのだ。日本では、まだ路傍伝道できる。聖書や福音トラクトを路上で配布できる。特にクリスマスの時期は反応がいい。クリスマスは聖書が命じている行事ではないが、伝道のチャンスとして利用できる。サンタの格好をすれば、トラクトを取ってくれるなら、それでいい。伝道の扉はいつ閉じられるか分からない。

 

やがてキリストを王とすることは世界政府への反逆思想として取り締まられる日が来ることだろう。患難期後半では「獣」礼拝が強いられる。それを拒む多くのクリスチャンは殉教死する。獣の刻印がないと、売ったり買ったりできないので、通常の社会生活ができなくなる。そんな時代が来る前にキリストを信じた方がいい。そして、「今」伝える方がいい。

 

神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あたなを助ける。見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。II コリント6:2)

 

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執筆者:栗原一芳

 

 

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