2024年3月21日木曜日

空気を変えろ!


100年に2度の大変革

日本は100年という短い期間に2度、「大変革」を迎えた。1つは「明治維新」、もう一つは「戦後」。明治維新では、あっという間に憲法が制定され、侍はチョンマゲを切り、牛肉を食べるようになった。天皇を君主とする近代国家、大日本帝国が誕生した。もはやサムライの時代は終わったのだ。

太平洋戦争敗戦後は敵国であった米国大好きとなり、占領軍GHQ総司令官のマッカーサーの人気がすこぶる良く、「マッカーサーに日本の大統領になって欲しい」との声まであったという。戦時中の価値観は180度変わり、教科書の天皇崇拝と軍国主義の部分は塗りつぶされ、英雄は罪人となり、民主主義が広まった。

2つとも外来的な要因だった。明治維新は、黒船襲来。戦後は、敗戦時のアメリカ主導の民主主義導入だった。それでも今までの価値観や空気がガラッと変わったことは確かだ。一度変わると過去のものを否定し、新しいものを当たり前と思うようになる。歴史の中でそれは起こった。

日本人は変わるのだ。


外国人宣教師の役割

自分が属する伝道団体キャンパス・クルセード(CCC)の話をしよう。1983の夏、アメリカから数百人のクリスチャン学生が来日して東京でキャンパス伝道を展開していた。当時のJTBの宣伝文句Discover Japanをもじって、Discover Friendsと名打ったサマープロジェクトだった。アメリカの神学校の学びを終えて帰国し、1年間母教会をお手伝いしていた時、豊島公会堂で行われていた、Discover Friendsの集会に参加した。会場のキャパ600名いっぱいにアメリカ人、日本人の学生たちが入っており、熱気を感じた。まだ教会では一般に歌われてなかったようなコンテンポラリーなクリスチャンソングを歌い、楽しいスキットがあり、若いアメリカ人が通訳付きで伝道メッセージを語っていた。こんな光景を日本で見たことがなかった。「暗い、かたい、つまらない」という日本の教会の雰囲気(空気)とは対照的だった。これをきっかけに自分はCCCに興味を持ち、結局、スタッフに就任した。

「別世界」。そうだろう。「異次元」。そうだろう。集会後、アメリカ人と日本人学生が数名のグループで近くのコーヒーショップに入り、さらに交流し、個人伝道がなされた。プロジェクト期間中、多くの学生が福音を聞き、信じるものも多数起こされた。この国際的な雰囲気が好きで、CCCのスタッフに志願し、採用される者も起こされていった。40年経った今も、国際的な雰囲気を使った伝道方法は変わっていない。海外宣教師は「空気」を変えられるのだ。彼らは「空気」を読まずに、自分たちの「空気」を作り、そこにノンクリスチャンを取り込んでしまう。

外来的要因で「空気」が変わった例をもう1つ。90年代に行われたていたCCC日韓協力プロジェクトの「ニューライフ」。こちらは基本、教会向けに行われた。ハイライトは1992年に行われた「ニューライフ関西」。韓国から2000名以上のクリスチャン青年たちが来日し、関西の130ほどの教会に10−15名ほどのチームとして派遣され、地域教会の伝道をお手伝いした。熱心で礼儀正しい韓国青年たちは諸教会に大歓迎された。熱心な祈り、大胆な路傍伝道は、教会へ大きなインパクトを残した。この期間中、教会の「空気」が変わったのだ。言葉も通じないお互いであったが、2週間の滞在期間が終わり、お別れの時はハグして涙する光景が見られた。そんな光景は、かつて日本の教会では見られなかったろう。彼らの滞在中はある意味、「異次元」な空間だったのだ。殻を破るには外的要因が要る。海外宣教チームは、このように「空気」を変える役割があった。

 

宣教師が牧師化してしまうのは勿体無い。日本人ができることをしなくていい。日本人ができない事をする使命があるのではないか。宣教師は開拓者なのだ。

 

山本七平が言うように「空気」に支配される日本人。キリスト教に興味があっても、周りの「空気」を気にしてしまう。自分が学生伝道をやっていた時も、「親が何というか」、「友人が何というか」と、気にしてしまい決断ができない学生が多かった。アメリカ人スタッフが「心で決めた通りにしなさい」と勧めていたのを覚えている。真理の問題よりも、社会的要因なのだ。この「空気」を変えるには「空気」を読まない海外クリスチャンの存在が助けになる。事実、海外にいる日本人(特に若者)が現地でクリスチャンになることが多い。そこでは日本的社会的縛から解放されているからだ。自分の決断が評価され、励まされる文化があるからだ。


成長するインターナショナルチャーチ

成長している教会、元気な教会、若者が多い教会はだいたい、いわゆるインターナショナル・チャーチだ。特にアメリカ、ハワイの雰囲気が用いられている。ハワイの牧師は男性にもハグしてくれる。こういう体験は日本人だけの教会ではあり得ないだろう。そこにいると「日本人だけれど、ここ(教会)にいていいのだ」という気持ちにさせてくれる。クリスチャンとしての居場所がある。教会開拓においては、海外宣教師と日本人がチームとなってやるスタイルが効果的なようだ。

もちろん、この「空気」に頼るミニストリーにはそれなりの問題もある。先ほどのような短期宣教プロジェクトの場合、宣教チームはいつかいなくなる。その「空気」を持ち去ってしまう。日本人の私がフォローアップしようと電話したら断られたケースがあった。この「空気」に頼っている限り、日本人が日本人に伝道し、育て、エクレシアをたてあげることが難しくなってしまう。

 

最近は、アジアの宣教師も増えてきた。人口減少の日本において、もう多文化共生、インターナショナル・チャーチの方向性しかないのだろうか? コロナ後、東京には外人が溢れている。東京で世界宣教も夢ではない。いや、それが主のみこころなのだろう。大宣教命令は「すべての国民を弟子とせよ」だ。それも1つの方向なのかも知れない。

 

流れは一瞬にして変わる!

II 列王記7章に興味深い話が書かれている。敵国アラムの軍隊に囲まれ、兵糧攻めに遭っていたサマリアの町。預言者エリシャは「明日の今ころ、サマリアの門で、上等の小麦粉1セアが1シェケルで、大麦二セアが1シェケルで売られるようになる」(7:2)と預言する。それを聞いた王の侍従が「たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか?」と疑いの言葉を発する。ま、常識的にはあり得ないのだ。ところが主がアラムの陣営に、「戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせたので、」(7:6)敵が襲ってくると勘違いしたアラム軍は、急いて陣営をそのままにして逃げ去ってしまった。(7:7)結局、それらを分捕りものとして持ち帰ったイスラエルは食料が急に豊かになり、エリシャの預言通り、町で食料が売られるようになった。疑いの言葉を発した侍従は門のところで民に踏みつけられて死んでしまったという話。(7:20)

 

クリスチャン人口1%の日本で、続々とクリスチャンが起こされるようになるなんて、「そんなことがあるだろうか?」と疑問を発するのは、ある意味当然かも知れない。しかし、日本人がクリスチャンにならないのが、真理の問題よりも社会的要因だとすると、その「空気」が変われば、多くの人が聖書を買い漁り、若者が「JESUS 最高!」と言い、ビジネスマンが昼休みや仕事帰りにコーヒーショップでバイブルスタディグループに参加することがトレンドとなる。・・そんな日が来ることもあり得るのでは・・・そう日本人は変われるのだ。国民的変化は可能なのだ。それは過去、歴史上起こった。

 

「王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。主はみこころのままに、その向きを変えられる。」(箴言21:1)

 

神は一瞬にして「流れ」を変えることができる。「空気」は聖書的には「霊的雰囲気」のことと言ってもいい。祈りによって向きが変えられれば、社会的に、キリストを信じることは「違和感」ではなく、「当たり前」のことになる。

 

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執筆者:栗原一芳

 

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