2011年7月3日日曜日

「東洋の汎神論的一元論 — Pantheistic monism」


理性を信じない西洋は行き詰まった。知的自殺、ニヒリズムの暗い世界。60年代、ベトナム戦争の混乱の中、ビートルズを始め、若者達は東洋に救いを求めた。ヒンズー教にベースを置く、汎神論であるが、ここで特徴的なのは、一元論、つまり宇宙に1つのリアリティが存在するという点である。

1.「アトマンはブラマン」。このフレーズがすべてを表す。アトマンとは個々の魂であり、ブラマンは究極の1つのリアリティであり、「宇宙の魂」。つまり、神とは非人格な永遠の究極のリアリティ。ただし、超越神はいないので、宇宙が神であり、存在するものは神であるとなる。この神(リアリティ)から離れた個々の存在は幻想である。究極のリアリティは区別(個々のアイデンティティ)を越えたところにある。

2.ブラマンに近づくには段階(レベル)がある。ある段階はもっとOnenessに近い。

3.すべての道はOnenessに通じる。すべての宗教も同じゴールにたどり着く。Onenessは知的な理解ではなく、存在をかけて、体験するもの。だから、理論で説明しないし、できない。

4.Onenessに達するには人格を越えなければならない。究極のリアリティは,非人格ゆえに人格部分を超越し、区別のない1つのリアリティに達しなければならない。(人格を超越し、非人格になんてなれるのか?!)

5.Onenessに達するには知識を超越しなければならない。知識は2元性をサポートしてしまう。(知るもの、知られるもの)対峙する概念は1つになるべし。従って教理もない。

6.究極的には善も悪も超越しなければならない。宇宙(神)はいかなる時も完全であるから。

実存主義の場合と同じく、ここが東洋汎神論の弱みでもある。つまり、善と悪の区別をつけないと言いながら、宇宙は善であるメッセージが語られる。最終的に善も悪も同じなら、なぜ、善を勧めるのか?どう子供に道徳を教えるのか?無差別殺人など、社会の凶悪犯罪を幻想と呼ぶのかという問題が残る。

7.死は個人の終わり。しかし、もともと個人は幻想なのだから、本質において何も変わらない。個人の魂の本質(アトマン)は非人格であり、永遠に存在しているので、輪廻で、また別の人に生まれ変わる。

8.歴史はサイクルであり、Onenessとの一致において時間を超越する。


ちなみに、禅の場合は、究極のリアリティは無(無存在、無意識)となる。すべての2元性(現実と幻想、善と悪、今と昔、こことあそこ)を超越する。禅の主張から言うと、「無」はニヒリズムではないというが、ここは理解しがたい。また、これでは人格や人間性を説明できない。いずれにしても思考自体が、論理を越えているので、西洋的マインドでは理解しがたい。とにかく座って体験しろということになるのか?
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