2015年9月14日月曜日

新しい創造

義はどこに
イスラム国に殺害される女子高校生。ヨーロッパに流れてくる難民。アフリカの飢餓の中の子供達。私たちの心は痛む。クリスチャンであろうと、なかろうと。戦争法案反対デモに10万人が集まる。そして「それは間違っている!」と叫ぶ。何を基準に間違っているのか?人の命が尊いから。それを言う根拠は?進化論が正しいなら弱肉強食、適者生存でいいのだ。しかし、私たちはどこかで、「それは違う」と思っている。だから学校でも「弱いものイジメはいけません」と教える。ジョンレノンは「イマジン」を歌って、宗教も天国も地獄もない平和な世界をイマジン(想像)した。それは想像なのか、本当に実現し得るのか? バベルの塔以来、人が試みる楽園は崩れ去っている。夢は夢として、現実では指をしゃぶって見ているだけなのか? 現実は悪に染まっているので、せめて小説や音楽で夢の世界に逃避するだけが唯一できることなのか?神の世界と地上は交わることがないのか?しかし、神がこの世に介入することを信じていたキング牧師は ”I have a dream” と叫び、差別の無い、正義の行われる社会を夢見て行進した。彼は夢を一歩、進めた。神の世界と地上は交わることがあり得るのか?


地上に介入される神
この興味ふかいテーマを書いたNTライトの「クリスチャンであること」が売れている。ライトの結論から言うと神と地上が出会うところが「神の国」であり、祈りであり、神は未来からも現在に介入するという。もし、世界を造った神がいたとしても、この地上のことには一切手を出さない方だとしたら、(これを「理神論」といい、18C流行った学説)祈りは虚しい。神はどうせ何もしないのだから。

しかし、聖書を読んでみると、神は確実にこの世に介入される方、歴史を導く方なのだ。神の救いのドラマのただ中に私たちは生きている。「私たちがそのような夢(義の実現する世界)を見るのは、つまり、その声の響きにどこか聞き覚えがあるのは、私たちに語りかけ、耳の奥深くでささやきかける誰かがどこかにいるからだ。それは、現在の世界と私たちのことを深く心配している誰かであり、私たちとこの世界を創造した誰かである。その誰かは確かに義をもたらし、物事を正し、私たち人間をも正し、ついには世界を救出するという目的を持っている、というものである。」聖書はこの立場を取っているとライトは言う。


現代人が慕い渇き求めているもの
義の他にも人が渇き、慕い求めているものがある。ライトは、「霊的なのも」「かかわり」「美」「コミュニティ」であるという。

20世紀初頭、科学の時代が幕開けて、宗教は無くなると言われたが、今日まで宗教は無くならず、カルト宗教も後を絶たない。小説や音楽の中にも何か霊的なものへの探求が語られる。「霊的なもの」は蜃気楼なのか、本当にある世界なのか?

「かかわり=理想の関係」理想の結婚、家庭、友情関係、職場の人間関係、これまた蜃気楼なのか、はたまた現実にある真理の影を地上で見ているのか。現代人でさえ、これらの関係をあきらめきれていないのではないか? 幸せそうなカップの写真がのっている結婚式場の車内広告。「結婚はそういうべきものなのだ」という思いがどこかに潜んでいるからではないだろうか。

そして、「美」。前衛芸術家は「美しいものは醜く、醜いものは美しい」と言うかも知れないが、私たちは直感的に知っている。「美しいものは美しい」富士山頂から見る朝日。夕焼け、咲き乱れる花、そして若き乙女たち。それはこの世界を創造した神が美しいからではないだろうか? 

コミュニティ:ホームレス問題の本に必ず書いてある。「貧困」は経済の貧困だけではない、「コミュニティの貧困」なのだと。助け合う仲間がいない。高齢者が一人寂しく孤独死する。それでいいとはどうしても思えない。マザーテレサは道端で倒れて死んでゆく人を見て、せめて死ぬ時に寄り添って「人間らしく」死なせてあげたいとして「死を待つ人の家」を設立した。人は一人では生きて行けない。人はもう一人の人格を必要とする。三位一体の神はコミュニティの神。そこから始まった。単に仕事の仲間ではない、人生を分かち合う人々が必要なのだ。人は一人では生きてゆけない。共同体的存在なのだ。地上で人が飢え渇き、慕っている、これらのものの本体があるはずだ。つまり、「神がいるはずだ」ということだ。

神がいて、地上に介入する。天と地が重なるところがある。その世界観だけが「認知的調和」をもたらす。愛であり、義である神が世界を美しく創造し、人をご自身の似姿に造られた。人はこの神と会話ができ、この神のお心を実現するために地上にいる。人の罪ゆえ、この世界は汚れ歪んではいるが、今、回復の途上にある。やがて贖われ、回復され、完成される。人はこの神のドラマの中に生きている。神の協力者として神の国を建設している。


新しい創造
ライトは言う。

「イエスのよみがえりは、私たちを受動的で無力な観客にしたままではおかない。私たち自身で身をもたげ、自分の足で立ち上がり、肺に新しい息を吸い込み、出て行って、世界に新しい創造をもたらさずにはおかないのである。」

「イエスの書き記した音楽は、いま奏でられなければならない。初代の弟子たちはこのことを見て、それに着手した。イエスが墓の中から立ち上がり、出てきた時、義と霊性と、関わりと、美が、イエスと共に立ち上がったのである。イエスの内に、またイエスを通して、何かが起こり、その結果、世界は異なった場に、すなわち天と地が永遠に結びつく場となった。神の未来が現在に到来した。単なる残響の代わりに、私たちはあの声そのものを聞く。それは悪と死からの解放を告げる声、すなわち新しい創造の声である。」

そして、聖書は言う。

「大事なのは新しい創造です。」(ガラテヤ6:15)
————————————————————

おススメ本
N.T.ライト
「クリスチャンであること」
発行:あめんどう
2500円
————————————————

祈りと意味ある人間関係で広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロコミュニティ(TMC

japantmc@gmail.com (栗原)

0 件のコメント: