「悔い改める」ギリシア語でメタノエオーを通常、「180度向きを変える」と訳しますが、ある牧師は「視座を変えて見直す」と訳したそうです。通常私たちは自分の視点でしか物を見ていませんね。それもかなり自己中心的な。例えば、「今日は電車が混んでるなあ」と文句言いますが、他の人から見れば「またもう一人乗り込んできた」「あんたもその原因だよ」ということになる訳です。
皆さんは自分をどう見ているでしょうか?他の人が見ている自分。自分にしか見えない自分。自分でも見えない自分。先日、エレベーターに乗ったらセキュリティー用のビデオカメラがありました。ちょうど自分の頭、ななめ後ろ上方から映しています。それが階ボタンの上あたりのスクリーンに映るのです。自分の頭の上部は自分では普段見えない部分です。「あれっ!こんなに禿げてるのか!」とショックでした。自分に見えない自分を見るには、もう一台のカメラが必要です。ある意味でもう一つの視座を与えるのが聖書であり、神の視座なのではないでしょうか?聖書を読むと物差しがずれるのです。今まで自分を基準にものを見ていました。それが神の基準で見えてくるのです。
パリサイ人は「私は、律法を守っています。」と高ぶっていました。まず、その高ぶりが罪ですけどね。「人殺しなどしてません。」イエスは、兄弟を憎んで、バカのもと言う者は人殺しと同様に燃えるゲヘナに投げ込まれると言いました。「姦淫などしていません。」という者には「情欲を抱いて女を見る者はすでに心の中で姦淫を犯したのです。」と言いました。神の視座で見ると彼らも罪人だった訳です。周りを見渡して人と較べ、「まあまあ、俺はいいほうだろう。」と納得していても、神の視座からは「汚れた罪人」と見なされるのです。あなたの夫婦関係はどうですか?と聞かれて、多くの男性は「まあまあ、いいんじゃないか。」と答えるそうです。同じ質問を奥さんに尋ねると「うちは問題だらけです。」と言うことになるのです。違う視点から見ると同じものが違って見えますね。
また逆に自虐的に「自分なんかクズのような人間だ。生きてる価値が無い。」と言う人に、神は「あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している。」と言われるのです。これも自分の視座と神の視座のずれですね。弟子たちはガリラヤ湖の嵐の中で、「もうダメだ。全員溺れる。」と思ったのです。しかし、主は嵐を静めます。主の視座では嵐の只中でも「平安」なのです。だからイエス様は舟の中でぐっすり眠っておられたのでしょう。
視座には「上から目線」と「下から目線」もあります。ザアカイは木の上からイエスを見ていました。はじめは「どんな人なのかひとつ、見てやろう」という思いだったかも知れません。イエス様のほうが見上げてザアカイと会話しています。しかし、イエスが誰かわかると、ザアカイは木から「降りて」イエスの立っておられるところに来ます。詳しくは書いていませんが、イエスが救い主とわかった時、イエスの足元に跪いたかも知れません。そう、下から目線に変わったのですね。奥さんに連れられてきたノンクリスチャンのご主人は初めて教会に来て、メッセージを聞いて、「キリスト教えとはどんなもんか、ひとつ見てやろう。」という「上から目線」の場合が多いかもしれませんね。しかし、イエス様がわかるとひれ伏して礼拝するようになるのです。まさに「悔い改め」です。
クリスチャン生活は何も問題が無いバラ色の人生という訳ではありません。イエスご自身「世には多くの患難があります。」と言っています。しかし、この人生という舞台の裏で指揮している監督がいることを忘れてはなりません。神が総監督なのです。見ている観客は主人公が敵に命を狙われ危ない場面でひやひやします。しかし、監督は最後に彼が恋人と結ばれハッピーエンドになることを知っているのです。神の私たちへのご計画は「平安と希望」(エレミヤ29:11)なのです。神はすべてのことを働かせて益とするのです。(ローマ8:28)もちろん、場合によっては「殉教」というシナリオもあります。しかし、それは神がベストと知って決めたシナリオです。
覚えてください。誰がやっているのかを。あなたの人生のシナリオを書いている方がいるのです。そして、その方はあなたを愛しているのです。そのお方の「視座」でものを見るのが「信仰」です。
視座を「自分」から「神」に移すこと。それが信仰生活です。信仰の成長とはそれを常にやり続けることです。そう、常に「悔い改める」のです。この地上では神に信頼する訓練をさせられているのです。
「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に栄光がありますように。アーメン」(ローマ11:36)
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