2016年2月26日金曜日

家族としての教会


理想の人間関係、家族関係を思い浮かべてみてください。それは、たぶん・・

一緒に喜び、一緒に泣く
正直に分かち合える
裁かない、失敗しても関係を断ち切らない
和解と赦しと癒しがある
いつでもウエルカムされる。戻れる場所、いてもいい場所




イエス様は言いました。

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あながたがは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし、あながたがの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。
(ヨハネ13:34)


教会はキリストの体であり、神の家族です。(エペソ3:19、Iテモテ3:15、Iコリント12:27、エペソ1:23)そして、神は三位一体(コミュニティ)の神です。三位一体の神は互いを尊敬し、愛し、喜びたたえています。その愛が溢れ出して世界の創造となったのです。箴言8:30−31に創造の際の御父と御子のほのぼのとした関係を垣間見ることができます。

私たちがクリスチャンになるとは、この交わりに入れられることです。(第一ヨハネ1:1−3)ポール・ヤング著の「神の小屋」がこれを非常にわかりやすく表現してくれています。「神の小屋」の扉を叩けば、三位一体の神は、いつでも暖かく迎え入れてくれ、そこでくつろぎ、癒され回復されるのです。いつまでいても追い出されることはありません。食卓を囲んで美味しい食事を一緒に食べます。いつでもあなたの居場所があるのです。その扉を叩けば笑顔で迎えられ、大歓迎されるのです。傷ついたまま、失敗者のまま、そこに入るのです。完全になってから、入れるのではありません。順番は逆です。ある人を赦せない心を持ったまま、入ります。そこでの交わりで癒され、やがて何をすべきかを自分で気づくようになるのです。

そこには地上の宗教法人としての教会とは違う、もっと家族としての姿があります。本来、そっちなのでしょうね。病気の者がいれば皆で手を置いて祈り、職を失った人があれば皆で助け合います。初代教会はそうだったんでしょうね。

どこからか、教会が会社のような組織になってしまいました。この時代、宣教の難しい日本で、どうやって教会を建て上げるのか?とよく問われます。以外と答えはシンプルなのかも知れません。お互いを大事にする。お互いを親身になってケアする。家族のメンバーには当然のごとく、そうするでしょうね。教会は神の家族なのです。もう一歩踏み込んで、愛し始めれば、変わってゆくのではないでしょうか?そして、そんな愛の共同体はきっとコミュニティの人にとっても魅力的に映るのではないでしょうか?そんなにガツガツ伝道しなくても、その仲間に入りたいと思うのではないでしょうか。この時代の人々は真実の愛に飢えています。自分たちの教会を大きくしたいという下心は見透かされてしまいます。でも掛け値なしにコミュニティの必要に支えていくなら、知らずに信頼が生まれるのでしょう。

最近、福島県いわきの教会の牧師の証を聞きました。3:11直後、放射能が高く、商店街は店を閉めてしまいました。ある人たちは町を出て行きました。それでこの教会が唯一の物資配給センターになったのです。たちまち教会の存在が町中で知られるようになりました。伝道会のチラシを配布した訳でもないのに、13名が礼拝に訪れるようになったというのです。洗礼を受ける人も出ました。すばらしい証ですね。愛する事、仕える事が先なのです。

先生の教会の礼拝は何人ですか?と数を追いたくなる誘惑がいつもあります。宣教団体なら何人に伝道した、何人が救われたと、結果を出す誘惑があるでしょう。しかし、マザーテレサは言いました。


「たいせつなのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ、心をこめたかです。」



いろんな宣教の戦略が語られてきました。答えは以外とシンプルなのかも知れません。もう一度イエス様のスタイルに学び、初代教会に学ぶ事。家族としての教会を取り戻す事。プログラムをすることにバタバタ忙しくするのではなく、ゆっくりお互いが向き合う時間を取ることから始めませんか?










BILD (Biblical Institute of Leadership Development) 提供の「家族としての教会の学び」セミナーの内容がアップされています。ぜひ、聞いてみる事をお勧めします。

水場教会ホームページ

————————————————— 

意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
Japantmc@gmail.com (栗原)



0 件のコメント: