2016年3月25日金曜日

「宗教消滅!? ~ 今後の宣教」


宗教消滅!?

本のタイトルは「宗教消滅!?」。宗教学者の島田裕巳氏が書いており、SB新書から出ています。戦後、にょきにょきと出現した創価学会をはじめとする新興宗教の会員が激減しているというのです。文化庁宗務課が出している『宗教年鑑』によると、平成2年から26年の24年間の間に多くの新興宗教の会員が半減しているというのです。

天理教:180万7333人から116万9275人へ。教団の規模が3分の
    2に縮小
立正佼成会:633万6709人から308万9374人と、ほぼ半減
霊友会:316万5616人から136万9050人と半分以下に
創価学会:信徒数を世帯数で公表。827万世帯のまま、増えてはいない。
成長の家:本部が、原宿から山梨県北杜市という僻地に移ってしまった。


いずれも、戦後の高度成長期に劇的に成長した新興宗教です。創価学会は激しい折伏(伝道)もしましたが、地方から都会に出てきた若者にコミュニティを提供し、生活や商売、病気の癒しまで具体的に助けたのです。いわゆるご利益宗教ですね。面白いことにこの著者は韓国の成長期のキリスト教は日本の創価学会の役割を果たしたと言っています。息子の大学受験のために早天祈祷会で懸命に祈っているお母さん達の姿をテレビで見たことがあります。しかし、やがて高度成長期も終わり、バブルが弾けるようになると、巨大な新興宗教も力を失ってゆきます。新興宗教だけではなく、仏教、神道といった既存宗教も衰退の兆しが見えるといいます。


それではキリスト教は?
西洋のキリスト教も同様です。フランスでは、第二次大戦後、既成宗教としてのカトリックは衰退がひたすら続いているといいます。ある調査によると2011年に毎週一度は教会に通っているフランス人は0.9%しかいないという結果も出ています。ドイツでは「教会税」(所得の10%)が原因で教会離れが進んでいるとか。ヨーロッパでは空っぽの教会が増え、住宅やサーカスなどに売却されているといいます。イスラム教のモスクに転用されるケースもあるとか。どういう訳かヨーロッパでは教会の衰退と裏腹にイスラム教が躍進しているのです。先日、SOMAというMissional Community (宣教的な共同体としての教会)を推進する団体のリーダーがヨーロッパの現状の報告をしているのをスカイプで直接、聞きました。彼が言うには「人は教会という建物に来ない、教会のプログラムには来ない。だから強い人間関係つくりが大事なのだ。」と。



以前にリポートしましたように、日本でもキリスト教の将来は明るくありません。日本のクリスチャン人口が111万人(内プロテスタント66万、0.52%)、信徒の年齢構成を見ると、60歳以上が52.1%、50歳台が18.2%、40歳台が13.2%、30歳台が10.2%、そして30歳未満がなんと6.4%です。牧師の平均年齢が61.6歳。牧師がいない教会が約990。(以上、2010〜2011年の統計)それで、以前、お分かちしましたように、仙台バプテスト神学校など今までの西洋式の神学教育からパラダイムシフトをして初代教会に学ぶスタイルに切り替えたところも出てきました。また、SOMABILDといった初代教会に学びながら、制度的教会から家族やコミュニティとしての教会への移行を助ける働きも出てきています。


それでも残る人間のスピリチュアルな面
話は飛びますが、3:11震災後、仮設住宅で幽霊を見る人が多いという新聞記事があって記憶に残っています。最近、東北学院大学災害社会学専攻の金菱清教授の「呼び覚まされる霊性の震災学」というが出版され、興味を持ったので読んでみました。そこにはタクシードライバーが邂逅した「幽霊現象」のことや我が子のように慰霊碑を抱きしめる遺族の様子、津波で火葬場が機能しなくなった中で、遺体(死体ではない)をどうするのかといった問題。つまり、すべてはいわゆる「生ける死者」について描かれているのです。本の帯にはこうあります。「<霊性>という高次の精神性に基づく死生観が、震災復興に求められている。亡くした家族が『生きていた』記憶を刻む慰霊と鎮魂、未曾有の悲しみを超えて死者とともに生きる人々の強さを描く。」



石巻市の遺体安置所の現場の様子は西田敏行が主演した「遺体—明日への10日間」で映画化されています。西田扮する元葬儀屋は死体に話しかけるのです。「寒かったね、寂しかったね」と。はじめ怪訝そうに見ている市の職員もだんだんそれを受け入れるようになります。ご遺体に手をあわせるようになるのです。お坊さんが来て、お経をあげると遺族は安心するのです。「死んだら終わりですか!」が遺族の声なのです。死者の統計に加えられる1名ではなく、『生きていた彼、彼女』と今も一緒に生きているのです。この何ともしがたい宗教性。


震災後、臨床宗教師というものが現れました。次々と死んでゆく人を目の前に医者や精神科医が限界を感じたのです。ここは宗教者の出番であると。それで、牧師、僧侶、神主が協力して被災者の相談にのる「カフェ・デ・モンク」を開いたり、海岸で鎮魂の祈りの歩行をしたり、病院のベッドで死にゆく人と神(仏)の間の管としての役割をしたりしました。未曾有の災害の中で、人は生死に直面します。その時、人のスピリチュアルな面が浮き彫りになるのです。


「震災と信仰調査」
東京基督教大学が母体となり、宮城宣教ネットワークを対象に「震災と信仰調査」プロジェクトが行われました。先日の第4回東日本大震災国際神学シンポジウムの分科会でその結果が発表されました。それによると、宮城宣教ネットワークの宣教活動の特徴の1つは、従来の伝道一本槍の発想にはなかった多様なミニストリーが展開されていることです。(クリスチャン新聞記事による)

1.      信徒の家を中心とした「家の教会」タイプ
2.      開拓伝道的な「カフェ型チャーチ」タイプ
3.      漁村等、未伝地を中心とした「アガペ平安の子型訪問開拓伝道」
4.      地域貢献タイプ
5.      町興し(活性化)タイプ
6.      社会事業タイプ

つまり、「宣べ伝える教会」から「地域に仕える教会」へと被災地の教会は大きく変革をされたというのです。さらに「喜ぶ者と共に喜び」、「泣く者と共に泣く」という、「地域と共に生きる教会」=「地域共同体の形成」を目指して励んでいるそうです。そうした教会の姿を見て、地域の方々が教会に好意を持ち、信仰告白へと導かれているというのです。そのために同じ地域にある教会がネットワークし、地域との関係性を深めていけるかが鍵となるというのです。

のリポートは、被災地の宣教活動から学んだ結論としてこう結ばれています。

1.日本の教会が、それぞれ与えられている賜物を活かし、多様なミニストリ
  ーを展開し、地域に仕え、地域と共に生きる教会を目指して地域との関係
  性を深めていくこと。
2.各地域に教団・教派の壁を超えて互いに協力し合う「地域宣教ネットワー
  ク」を構築し、各地域教会の働きを後押ししていくこと。そうすれば日本
  の宣教は大きく進展するのではないか。

地域宣教ネットワークですね。未信者の方には「教団」は関係ないのです。同じ地域にある教会が1つのキリストの体として一緒になって地域に仕えてる姿を見ることが大きな証となるのではないでしょうか?

今、教会論で世界的に大きなシフトがあります。制度的教会が衰退する中、家族的な、コミュニティとしての教会がフォーカスされています。キリストの体=有機的=オーガニッックチャーチですね。考えてみれば、オリジナルな教会はそうだった訳です。イエス様のあり方、初代教会のあり方に戻っていくことに解決がありそうです。

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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
東京メトロ・コミュニティ(TMC)
japantmc@gmail.com (栗原)



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