2021年5月28日金曜日

教会にとって避けて通れない難しい問題(1)

 

教会に突きつけられてくる以下の課題は簡単には答えが出ない。自分も悩んでいる部分があるので、今回は回答ではなく、問題を考える視点を分かち合うことにします。

 

1)  安楽死

一口に「安楽死」と言っても2種類ある。「消極的安楽死」と「積極的安楽死」。「消極的安楽死」は「尊厳死」「自然死」「平穏死」とも言われ、過剰な延命治療を行わず自然の経過に任せた「死」。日本では1960年くらいまでは「尊厳死」が当たり前で、ほとんど自宅で最後を迎えていた。ただ、最近は病院での過剰な延命措置のため、「壮絶死」が増えているという。一方「積極的安楽死」は本人が命を終わらせる目的で「薬」を投与するのが「間接的安楽死」、医師が自殺幇助をするのが「直接的安楽死」。これは、日本では法的に許可されていない。医師による自殺幇助はオランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、オーストラリアの一部の州で容認されている。「積極的安楽死」を求めて、それらの国に行く人もいると聞いている。「積極的安楽死」を支持する人は「生きる権利があるのと同様に死ぬ権利もある。」と主張する。果たしてそうだろうか?「主は与え、主は取られる。」(ヨブ1:21)命を与えるのは神。その命を終わらせるのも神なのではないだろうか?クリスチャンはキリストにあっての「復活」の希望がある。パウロは「世を去って、キリストとともにいる」ことがはるかに望ましいと言っている。(ピリピ1:23)パウロなら過剰な延命措置をしたとは思えない。

 

Q: 「私、筋萎縮性側索硬化症(ALS)で、治る見込みがありません。将来、何

  の希望もありません。日本では積極的安楽死(医師の自殺幇助)は認めら

  れていないので、オランダに行って、そうしようと思っています。この件

        関して悔いはありません。私の人生のことです。自分で決めたことです。」

 

  あなたならどう答えますか?

 

2) 妊娠中絶  

   令和元年の「妊娠中絶件数」は156,430。もっともこれは公式発表なので、

   闇に葬られた件数は分からない。妊娠中絶は「殺人」だろうか?女性の

   権利だろうか?日本でも望まない妊娠を避けるため、ピルを手軽に薬局

   等で買えるようにしてほしいとの動きもある。クリスチャンの多くは、

   中絶は「殺人」という立場だろう。どの段階で殺人だろうか?3ヶ月目

   か受精卵か?そして、難しいのはお産の時、母体が危険な場合、どちら

   の命を選ぶのだろうか?レイプのケースなどとなると、一筋縄ではいか

   ない。中絶を考えている女性に、とにかく産むように励まし、養子縁組

   を斡旋するクリスチャン団体もある。児童養護施設(孤児院)で育った

   子供たちに対する偏見の問題もある。反対を口で言うのは容易いが、多

   様な分野での取り組みが必要になる。

 

 Q:  教会員のご婦人の娘がレイプされた。犯人の子供を産ませるのだろう

   か?どう育てるのだろうか?未信者の父親は「娘を一生、『傷もの』と

   公表する訳にはいかない。娘の将来のためにも中絶させる!」と言って

   いる。

 

   あなたならどう答えますか?

 

3)  LGBT  




先日、あるラジオ番組に平良愛香というゲイであることをカミングアウトして牧師をしている方がゲスト出演していた。彼の言い分は「神はこういう自分も受け入れ、愛してくださっている。同じ境遇の人にも分かって欲しい。」と神の愛を伝えるためにカミングアウトして証しているという。確かにヨハネ3:16節によれば、「誰一人として滅びることなく・・」と偏見のない神の愛が示されている。「すべての人は罪人なのであり、すべての人を救うイエスが現れた。」そこに福音の福音たる意味がある。しかし、同性愛を「罪」と考えるのか、その人の生まれつきの「あり方」と考えるのか。平良さんは「罪を悔い改めよ。」とか「神がその問題を癒してくださるよう祈ろう。」とか言われて傷ついてきたという。ありのままで「受け入れられたい!」と。彼曰く「同性愛が罪というのは聖書解釈の問題だ。」と。果たしてそうだろうか? 世はLGBTを「罪」ではなく、「ライフスタイル」「多様性」と考える。それでは教会は何と言うのか?同性愛者のカップルが「礼拝に出席させてください。」と教会に来たら、どうするだろうか?同性愛者カップルが教会で結婚式を挙げてくれと訪ねてきたらどうするだろうか?牧師が寛容な心があっても「ああ言う人たちが来るなら私はこの教会を去ります。」と言う「潔癖」な人がいるかも知れない。性的嗜好としての同性愛は「罪」としても、生まれた時のホルモン放出のアンバランスで男性の体で「女性脳」、女性の体で「男性脳」という「性同一性障害」の場合はどうなのか?それで人知れず悩んできた人をさらに「罪人」扱いして追い詰めるべきなのか?

 

Q: ゲイの人が教会を訪ねてきてこう言った。「神は愛ですよね。このままの私を愛してくださるんですよね。長い間、私は人知れず悩んできたんです。苦しかったんです。クリスチャンになりたいんです。洗礼を受けさせてください。正直な私のままで受け入れてくださるんですよね?ゲイのままでクリスチャンになれるんですよね?」と言ってきたら・・・

 

あなたならどう答えますか?

  

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

 

 

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