2021年7月22日木曜日

人生は出会いで決まる

 

ペテロがイエスに出会った日

ペテロがイエスに初めてあった日はいつでしょうか?多くの人はマタイ4章のあの場面を思い浮かべるでしょうね。ガリラヤ湖で網を打っていたペテロにイエスが声をかけます。「わたしについて来なさい、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:16)そうすると、彼らは、すぐに網を捨ててイエスに従ったとあります。イエスの弟子リクルートですね。でも、ペテロは実はこれ以前にイエスに会い、弟子となっているのです!「えっ!」と驚くかもしれません。

 



ヨハネ福音書の貴重な情報

4福音書は4人の記者がそれぞれの視点で書いています。テオピロに捧げるため綿密に調べ、順序立てて書いているのがルカの福音書です。(ルカ1:3)ですから基本的には、ルカが時系列的には一番信用できるということです。マルコがイエスの福音宣教から始めているのに対し、ルカはかなりの紙面を使って、それ以前のこと、すなわちイエスの誕生や、少年時代についてもユニークな情報を与えてくれています。しかし、そのルカが省いてしまった情報、すなわちルカ3章終わりと4章の始めの間に起こった出来事については、ヨハネが提供してくれているのです。すなわち、イエスの洗礼からガリラヤ宣教が始めるまでの間です。

 

ヨハネだけは他の3つの「共観福音書」と違い、ユニークな視点で書かれていますね。1章の創世記1章を思わせる宇宙的な出だし、「初めに、ことばがあった!」で始まります。これは他の福音書にはありません。

 

バプテスマのヨハネはヨルダン川向こうのベタニアで人々にバプテスマを授けていました。(ヨハネ1:28)この活動に関してエルサレム本部からチェックが入ります。つまり、あなたは誰で、何の目的でこの活動をしているのか?と尋ねているのです。それに対しヨハネは、わたしの後に来られる方の道備へをしていると暗示します。(ヨハネ25−27)ここから時系列がはっきり書かれています。

 

その翌日(ヨハネ 1:29)

つまり、エルサレム本部から派遣された祭司たちとレビ人たちのチェックが入った日(1:19)の翌日です。この日にイエスはヨハネから洗礼を受けられます。(1:29—34)

 

その翌日(1:35)

「その翌日、ヨハネは再び2人の弟子と共に立っていた。」(1:35)イエス洗礼の翌日です。この二人の弟子とはヨハネの福音書を書いたヨハネとアンデレです。バプテスマのヨハネは、イエスが歩いているのを見て、「見よ、神の子羊!」(1:36)と言いました。それ聞いて興味を持ったヨハネとアンデレはイエスについて行ったのです。この時点までは、この二人はバプテスマヨハネの弟子だったことが分かります。ガリラヤにもバプテスマのヨハネの噂が広がり、敬虔なユダヤの神を信じる、この二人はユダのベタニアにまで下ってきて、洗礼を受けたのでした。実は、その後の記述を読むと、ナタナエルもペテロも一緒にベタニアに来ていたことが分かります。いろいろバプテスマのヨハネから教えを受けていたものと思われます。イエスは振り向き「あなた方は何を求めているのですか?」と聞きます。それに対し、二人は「先生どこにお泊りですか?」(1:38)と聞きます。これは宿泊場そのものを聞いているというより、「先生の弟子にしてください。」というユダヤ的言い回しだったのです。これに対して「あなたとわたしに何の関わりがありますか?」と言われたらNOと言う意味です。イエスは「ついて来なさい」(1:39)と答えているので、YESです。イエスからいろいろ教えて頂いている間に、彼らはイエスがメシアであると確信します。そうして兄弟シモンに証します。「わたしたちはメシア(訳すとキリスト)に会った!」(1:41)と。そうしてシモンをキリストの元へ連れて行きます。

 

イエスはシモンを見つめて言われます。「あなたはヨハネの子、シモンです。あなたはケファ(言い換えればペテロ)と呼ばれます。」(1:42)これがペテロとイエスの初遭遇です。そして、イエスの弟子となります。ただ、この時点ではペテロは漁師という職業があり、言わば、パートタイム弟子だったのです。

 

その翌日(1:43)

イエスはガリラヤへ行こうとされていましたが、ピリポを見つけて弟子とします。(1:43)ピリポはナタナエル(別名バルトロマイ)を見つけて証をします。(1:45)こうしてナタナエルも弟子入りします。(1:49)こうしてみると、すでにある人間関係を用いて伝道が進んでいる様子が分かります。

 

そして、ガリラヤの場面

それではマタイ4章に戻りましょう。このような出来事の後に「人間をとる漁師」の場面になるのです。つまり、ガリラヤ湖畔を歩いていたイエスはすでに知っていたペテロとアンデレに声をかけたことになります。そして単なる弟子ではなく、「人間をとる漁師」となるのです。彼らはその意味をすぐ理解しました。そして、職業の「漁業」を捨てて(マタイ1:20)、「人間をとる漁師」すなわち、フルタイム弟子となったのです。職業を捨てることは大変、勇気のいることです。職業を捨て、家族を残して文字通りフルタイム献身したのです。(1:22)よっぽどイエスに対する信頼がないとできません。いきなり初対面で、これは起らないでしょう。これを解く鍵はヨハネ2章のカナの婚礼の奇跡です。

 

カナの婚礼

ヨハネは時系列的にこの辺の出来事を書いています。

 

それから3日目に、(ヨハネ2:1)

つまり、ナタナエルがイエスに弟子入りした日から3日目です。もともとイエスはガリラヤに戻る予定でした。(1:43)ユダからガリラヤは3日の道のりと言われているので、おそらく、ガリラヤに戻ってすぐにカナ入りし、婚礼に参加したものと思われます。ATロバートソンの「4福音書の調和」によるとこのような時系列です。

 

1.      イエスの洗礼

2.      荒野の誘惑

3.      イエスの最初の弟子たち

4.      イエスの最初の奇跡(カナの婚礼)

5.      人間をとる漁師に召された4人

 

つまり、フルタイム献身の前にカナの婚礼の奇跡があったのです。イエスも弟子たちも、この婚礼に招待されていました。(2:2)この時点での弟子たちは、ペテロ、アンデレ、ピリポ、ナタナエル(バルトロマイ)の4人だけです。ここでイエスは神の子としての栄光を現されました。(2:11)つまり、メシア的奇跡を行なったのです。ヨハネが用いる「しるし」とはメシアであることを証明をする「奇跡」のことです。弟子たちは「奇跡」を目撃したのです。「弟子たちはイエスを信じた。」(ヨハネ2:11)とあります。これはイエスをただの教師ではなく、奇跡を行う人間以上のお方として信じたということでしょう。弟子たちのメシア理解は漸次的であり、だんだんと深まりますが、この時点では、まだ幼稚な理解だったでしょう。それでも大きなインパクトを残したに違いありません。この体験を経た上で「人間をとる漁師」に召されたのです。水をワインに変える方についていけば、食いっぱぐれることも無いだろうと思ったかも知れません。また直後にペテロの姑の癒しが起こり、献身して残していく家族も顧みられることを確信したのでしょう。(マルコ1:30)神様は理不尽な導きはなさいませんね。ちゃんと段階を追って献身へと導かれます。




その後のペテロ

この後、ペテロはイエスの救いのご計画を十分理解しないまま、何度も失言し、失敗するのですが、ついにはイエスを3度も知らないと言って裏切ってしまいます。ヨハネ福音書はここでもユニークな情報を提供して、ちゃんとフォローしています。ガリラヤ湖畔でイエスとペテロをはじめとする弟子たちが朝食を共にし、「赦し」と「和解」があり、さらにはペテロに「わたしの羊を飼いなさい」と「使命=ミッション」を与えていることが分かります。(ヨハネ21)

 

その後、ペンテコステで聖霊を受け、説教し、3千人が弟子となります。初代教会のリーダーとして活躍します。新約聖書に含まれる「ペテロの手紙1.2」を執筆します。最後、ペテロは十字架刑で殉教しますが、イエス様と同じでは申し訳ないと「逆さ十字架」にかかって死んだと言われています。

 

「人生は出会いで決まる」と言いますが、人生一番大切な出会いはイエス様との出会いです。その時点では未熟でも、イエスに出会った人の最後は楽しみです。大きく用いられたペテロのように。

 

参考本の紹介

A.T.ロバートソン

「4福音書の調和」

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Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

 

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