2022年3月17日木曜日

「ヒューマニズム」の視点から見た「聖書」

 

進む優生思想

最近、中国で「AI人工子宮」が完成したと報道があった。お母さんがお腹を痛めないで子供を産める利点もあるが、問題は「AI人工子宮」を誰が管理するのかだ。独裁国家においては結局、国が管理することになる。また、次の段階として子供の教育に関しては政府が責任を持つようになるだろう。神を恐れない独裁政権の下では、優秀な子供を増産し、劣勢な子供を抹殺する「優生思想」に基づく、「操作」が行われるだろう。「人権」より「効率性」。聖書的倫理観がないので、オフ・リミットだ。クローン人間だろうが、ハイブリッド人間だろうが、秘密の研究所で開発されるだろう。

 


世界支配への誘惑

すでに世界的巨大資本が世界的メディアを支配している。つまり民意を誘導できるという事だ。デジタル管理社会は目の前にある。さらに強力なパンデミックが世界を襲えば、経済は破壊され、「グレートリセット」への渇望が広まる。世界政府への依存が高まる。世界的な巨大資本とグローバルエリート達が、ベーシックインカム、統一的なデジタル金融システムなどを提供し、「救いの手」を差し伸べるだろう。完全キャッシュレス化されれば、「お上」の言う通りにしないと経済を回せなくなる。

 

歴史的に帝国は常に「軍事力」と「経済力」で世界を制覇してきた。まさに「力による変更」がまかり通って来たのだ。昔の話ではない、ミャンマーでの軍事政権、あるいは香港で、最近のウクライナで我々は目撃した。世界大の軍事力、経済力、メディア力に誰が逆らえるだろうか・・・近い将来出てくる「獣」に、人は逆らえなくなる。

 

また人々は獣も拝んで言った。「だれがこの獣に比べられるだろうか。だれがこれと戦うことができるだろうか。」 (黙示録13:4)

 

誘惑は常にそこにある。神のようになろうとした「堕天使=サタン」。神のようになろうとした「アダムとエバ」。神のように、天にまで届こうとしたニムロデ。自分の像を拝ませたバビロンのネブカデネザル王。自分を現人神と自称したシリア、セレウコス朝のアンティコス・エピファネス。自分を神としたローマ皇帝達・・・背後にサタンがいる限り、そして人間に罪の性質がある限り、この誘惑は終わらない。「この世」の神は、創造主を忘れさせる。自分たちの力に頼るように煽る。歴史を通して、その誘惑に乗り、国々は「獣化」してきた。今も「獣化」している国もある。やがて、世界大での統一政府に君臨する「獣」(The Beast)が現れることは想像に難くない。

 


ヒューマニズムの視点から見た「聖書」

一部では優生思想が進むだろうが、同時に世俗ヒューマニズムは薄っぺらい「平等主義=ポリコレ」を拡散するだろう。「多様性」、「寛容」を歌い上げる彼らの目から聖書は人権無視のとんでもない本となる。世俗ヒューマニストは言うだろう・・・

 

  旧約聖書の神は「人殺しの神だ。」ノアの洪水、エジプト軍溺死、カナンでの聖絶、反抗するイスラエルの民への裁き。「殺すなかれ」と命じる聖書の神は、平気で人を殺す。罪人だろうと平等の命のはずではないか?!

 

  新約においては、父なる神は子なる神を十字架で殺すことを良しとする。なんと言う「虐待」!子供を見殺しにする神など、子供に教えられない!

 

  「地獄だ」、「裁きだ」などというメンタル的にトラウマになるような思想を子供に教えてはならない。

 

  天国への希望はまやかしであり、自由・平等・解放は今、地上で実現すべき。

 

  「教会では、女は黙ってろ!」と言うパウロの男尊女卑思想は容認できない!

 

  婚前セックス、同性愛を罪とする古い道徳基準は受け入れがたい。プライベートに何やろうと勝手だろう。

 

  創造論やキリストの復活など、非科学的な「神話」を子供に教えるな。

 

  キリストだけが救い主とは何という傲慢。世界の諸宗教を同等に認めるべき。


 

これらの聖書思想は、人類社会進化の過程において邪魔になるもので、抹殺されるべきものだ・・という事になる。

 

一方では人を選別する優生思想を進めながら、一方では安易な平等主義を叫び、「キリスト教」が人権侵害をしていると言うだろう。「多様性=全てが平等、全ての違いを寛容に受け入れよう!」と言いながら、聖書を信じるクリスチャンには猛烈に反対するようになるだろう。

 


クリスチャンとしての立ち位置

クリスチャンとしてのあなたの立ち位置も問われることになる。必要悪として教会の分裂も怒るだろう。終わりの時代にはクリスチャンがポピュラーになることは無い。むしろ、「レムナント=残りの者」の意識を持つことが必要になる。神殺しの時代にも、神は「バアルに膝をかがめない7000人」を残される。

 

特に患難時代には、「キリスト」につくか、「獣」につくか、立ち位置を明らかにすることが求められる。中間は、あり得無くなる。携挙に残されたリベラル神学に立つ信者は、世界統一宗教に飲み込まれていくだろう。そして、世界統一宗教は、患難時代前期に救われるクリスチャンを激しく迫害するようになる。患難時代前でも「不法の秘密」は働いているので、リベラル思想家やリベラルクリスチャンから聖書的クリスチャンは迫害を受けるようになるだろう。

 

終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。

                   (IIテモテ3:1)

 

キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。   

                   (IIテモテ3:12)

 

ヒューマニズム的「道徳的キリスト教」は、聖書の基準よりも、時代の価値観、認識に合わせる「状況倫理」となっていく。「立ち位置」をはっきりするためには、クリスチャンが、聖書的世界観、歴史観をしっかり持つことが重要になる。主にお会いする時が近づいている。み言葉に立ち続ける「決意」が必要になる。

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

 

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