2022年10月13日木曜日

書かれた神のことば

 

常に攻撃されてきた聖書

今日、アメリカの福音派と言われる教会の中で「聖書は字義通り正しいわけではない」と考える人たちが26%もいるというのです。サタンは神の言葉の権威を貶めることに必死です。聖書ほど、迫害を通ってきた本はないのです。徳川時代のキリシタン迫害、中国文化革命時の迫害、その他の地域で、数え切れないほどの迫害の中を生き延びてきました。AD303、ローマ皇帝ディオクレティアヌスは家々を回り、地上から聖書を滅亡せんとしました。検閲後、聖書を持っていると死刑にされたのです。しかし、次の皇帝は国費で王室図書館に50冊の完全な聖書の写本を設置させました。フランスの無神論哲学者ヴォルテール(1778年没)は、「100年以内にキリスト教は滅亡し、聖書は消え失せる!」豪語していました。しかし、その宣言の50年後、ジュネーブ聖書刊行会は彼の家にオフィスを構え、彼の印刷機で何千という聖書を印刷したのです。これは神の為す皮肉ですね。

 

中世、神聖視されてきた聖書も、現代では一般の古典と同じく、人の創作として扱われるようになりました。現代思想により影響を受けた「自由主義神学」では聖書の超自然的な話(イエスの奇跡など)を削除していきました。最近は、福音派の中でも「再臨」「携挙」「体の復活」「千年王国」「終末預言」などを語ることを避ける傾向があるように思えます。しかし、いつの時代にあっても神の言葉を信じる「残されたもの=レムナント」と呼ばれる少数派がいました。聖書を神の言葉と信じるから確信あるメッセージが語れるのです。その確信を持ってシンプルに語る「救いのメッセージ」で、人々の人生が変えられてきたのです。神の言葉は生きているのです。(ヘブル4:12)

 

聖書を退けて知性が暗くなった

特に創世記と黙示録は攻撃を受けてきました。創世記には人を堕落させた原因である喋るヘビ(サタン)=「罪の原因」が書かれていますし、黙示録にはサタン(竜)の最終的な運命(滅び)が書かれています。それらは、サタンにとっては不都合な事実なのです。サタンによって霊的に盲目になった人々は、真実ではないものを真実と思い込まされているのです。逆に、聖書の真実は「馬鹿らしい神話、おとぎ話」と受け取られるようになっています。現代人の多くはこのような考え方をしているでしょう。

 

  神はいない。

  世界は偶然に始まり、進化した。人間はサルから進化した。

  サタンは神話の存在で、現代社会にはいない。

  神はいないし、神の裁きもない。地獄などもちろんない。自分達の都合の良いように社会を運営し、思いのまま、自由に生きればいい。

 

最近、南米の諸国の祈り課題を翻訳していました。ほとんどの国で犯罪、殺人、賄賂が横行し、治安が悪く、人々は不安の中にいます。不安の中にいるのは南米だけではないでしょう。戦争があり、飢饉があり、政治不安があり、独裁者の下で人権が侵され、とても理想社会が展開されているとは思えません。人々は今も真の希望を求めています。聖書は言っています。「愚か者は心の中で『神はいない』と言う。」(詩篇14:1)

 

神の言葉を書き留めたユダヤ人

ユダヤ人の特権とは何でしょう?第一に、神の言葉が委ねられたということです。(ローマ3:2)彼らは、神の言葉を聞き(啓示を受けた)、それを書き留め、一字一句丁寧に書き写し、保存してきたのです。そういう意味では特殊な民、選ばれた民です。

 

「十戒」のように神ご自身が石の板に書かれたものもありますが、多くは神が人を通して、その御意志やご計画を表されたのです。

 

主の契約の箱の設計図に関して、ダビデはこう言いました。

「わたしの上に臨んだ主の手によって書き物になっていて、仕事の全貌が理解できるはずだ。」(第一歴代28:19)

 

また、預言者は、未来に起こることまで含めて神のメッセージを受け取り書き留めました。預言書にある預言が成就したことを見るとき、聖書が単なる道徳の本ではないことが分かります。これから起こる終末預言もあります。聖書は過去の書物ではなく、私達は聖書の世界をリアルタイムで生きているのです。ここに聖書のユニークさがあります。

 

聖書は神の言葉

職業も背景も時代も違う40人の著者が1500年というタイムスパンで書いたにも関わらず、旧約39巻、新約27巻を貫くテーマは人類の救い主、イエス・キリスト(メシア)なのです。聖書は神の霊感によって書かれた「神のことば」です。単なる道徳書、人生訓ではありません。そのスコープは壮大です。聖書には「人類の救い」を含め、神の「被造物回復」のご計画が書かれています。従って、聖書は、神の視点からの「世界観」、「歴史観」を提示しています。

 

聖書の信頼性について少し話しましょう。私達は古典文学を、そのまま信頼して読んでいますね。シーザーの「ガリア戦記」は原典が書かれてから、現代に残る最古の写本までのギャップが1000年もあります。写本の数はわずか10。ホメロスの「イリアッド」はタイムギャップが500年。写本数は643。それに比べて新約聖書は原典から最古の写本までのタイムギャップはわずか25年。写本数は24000と圧倒的に多いのです。それだけ、信頼できるという事です。旧約聖書に関しても、1947年以降にクムランの洞窟から「死海写本」(972の写本群の総称)が発掘され、その正確さに世界は驚いたのです。

 

1.聖書は神の言葉、人類へのメッセージです。聖書は神の霊感(神が真の著

  者)によって書かれています。(IIテモテ3:16)

2.聖書の言葉は生きています。読む人の心を突き刺します。(ヘブル4:12)

3.聖書は道を照らす光、混迷している人生に、社会に行くべき道を示します。

                        (詩篇119:105)

4.聖書は人生を変革します。聖書は人に人生の目的、喜び、命を与え、魂を

  救います。(マタイ4:4、Iペテロ2:2)

5.創世記から黙示録、神の被造物回復の壮大な物語(世界観、歴史観)を

  啓示しています。

 

歴史に介入する神

聖書は「キリスト教」の経典ではありません。西洋思想でもありません。聖書は書かれた「神のことば」、神が人類に語る、「神のメッセージ」なのです。時空を超えた創造主が、この時間と空間の人類歴史に介入される話なのです。従って、聖書の「トンデモ話」を削除してはいけません。神が介入されるのであれば、超自然な現象が起こるのは当然だからです。「ノアの洪水」も「ソドムの滅亡」も「出エジプト」も事実です。2000年前、人となって来られた神イエスが、ガリラヤで数々の奇跡を行なったのも事実です。キリストの「復活」が本当なら、「携挙」も「再臨」もあるのです。私達の「栄光のからだへの復活」も、地上に実現するメシア王国(千年王国)もあるのです。ですから「福音」のメッセージはパワフルなのです。尋常ではない希望を与え得るのです。

 

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執筆者:栗原一芳

Japantmc@gmail.com

 

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