2024年4月4日木曜日

エクレシアがエクレシアを取り戻す時

 

幸福度が低い日本人

最近、世界幸福度ランキングが発表されました。順位は・・・

1.フィンランド

2.デンマーク

3.アイスランド

4.スエーデン

ちなみに、アメリカは23位。日本は51位。(30歳未満では73位、60歳以上では36位)。GDPも高く、治安も良く、平均寿命も高く、物価も比較的安いのに・・どうして「幸せ」に感じられなのでしょうか?幸福度を測るインディケーターを見ると、日本の場合、「コミュニティにつながっている」ことと、「市民の政治参加」が突出して少ないそうです。特に、SNSの時代、若者の居場所がない問題はシリアスです。コロナ世代は、学校で友達が作れなかったという問題もあります。

30歳以下の若者の幸福度が73位と言うのも、その辺に問題があるような気がします。会社も実力主義に移行しており、個人主義的になってきています。平均、3年で転職してしまうとも聞いています。昭和の会社は家族の代わりとなるような親密さがありました。大人も「居場所」が必要でしょう。特に会社をリタイアした男性にとってコミュニティがないことは致命的です。コミュニティをクリエイトしていく仕事や奉仕はますます重要になってきています。ところでクリスチャンにとってエクレシア(キリスト中心のコミュニティ)があることは大変、幸なことです。

 

エクレシアはコミュニティ

もともと、エクレシアは「神の家族」であり、「コミュニティ」なのです。TMCのモットーは「意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ」です。本来、エクレシアは、わざわざ「オーガニック・チャーチ」と言わずとも、「生命体」であり「有機体」なのです。エクレシアが「キリストのからだ」であるなら、その器官は、それぞれ役割があり、相互に助け合っているはずです。口だけが働いている(牧師のメッセージが90%)のでは「からだ」が機能しているとは言えません。エクレシアがエクレシアであるためには「お互いに」の度合いが、どのくらい強いかで測れます。場所を家に移しても、牧師が一方的にメッセージをする集会なら、「お互いに」は起こりません。意図的に牧師が存在感を無くす必要があるのです。言い換えれば、「牧師先生」ではなく、「一人の「兄弟」になる必要があるのです。一方通行の典型が「劇場型教会」です。自分の体験ですが、アメリカの「劇場型」の大きな教会の礼拝に参加した時、一言も喋らずに会堂を出たことがありました。これでは一人で映画館に行ったのと同じです。(実際、映画館を借りてやっている教会に出席したこともあります。)だいたい何百人もいたら、お互いの名前さえ分からないのです。これって「家族」でしょうか? それでも礼拝に大人数が集まることが「成功」の指標になってしまっています。もう一度、言いますが、エクレシアの成功度は「お互い」(interaction)の度合いの強さによります。

 

TMCエクレシアでの「お互い」度

TMC=Tokyo Metro Communityは名のとおり、コミュニティです。意図的にチャーチとか、チャペルとか使っていません。TMCエクレシアではメンバーは「等身大」で「至近距離」の付き合いをします。偉い「先生」はいません。「お互い」に近況報告をし、「お互い」にバイブルスタディで分かち合い、教え合います。そして、「お互い」に祈り課題を出して、「お互い」のため祈ります。メンバーは全員、「参加」し、「貢献」します。

 

先日、あるエクレシアで、一人の兄弟が会社のストレスがひどく、つらそうな顔をしていたのを見て、他のメンバーが「今度、会いに行くよ、お茶しよう!」と申し出ていました。牧師が仕事として信徒をケアするのではなく、メンバー同士がお互いにケアするのです。また、あるエクレシアでは、聖書の理解しにくい箇所があったので、一人のメンバーが「わかりにくいですね〜、どういう意味でしょう?」と質問しました。すると司会者が「私の持っているリビングバイブルでは○○○となっています。」と分かち合ってくれました。するともう一人が「私の持っている訳では○○○となっています。」と違う翻訳を紹介してくれました。違った翻訳を聞いていて、だいぶ意味が分かってきました。そのように「先生」が一方的に答えるのではなく、お互いに助け合って理解しようとします。とても刺激的でワクワクします。お互いに分かち合う中で「一人で読んでいても分からないことが、みんなで学ぶとよく分かりました。」というコメントを頻繁に聞きます。こうした「お互いに方式=Interaction」の方が、みことばの真理の適応が効果的にできることを実感しています。通常、礼拝では、こうはいきません。途中で質問できませんからね。

 

エクレシアがエクレシアを取り戻す時

TMCエクレシアは、単なる学び会ではなくコミュニティであり、家族的な付き合いです。時には食事会や散策をして楽しみます。先日は対面で2つのエクレシアの合同フェローシップをしました。レストランでランチをしながら2時間半ほど自由な会話を楽しみました。全員参加で会話し、楽しみます。コミュニティがあります。一人一人の居場所があります。もうエクレシア=「キリスト中心のコミュニティ」は、彼らの人生に、なくてはならない楽しい、そして意味のある「場」となっているのです。

高校生の時、初めて行った教会で礼拝後、牧師に「休まないで来なさいよ!」と言われました。それが楽しいコミュニティなら、そんな事を言われなくても自発的に来るでしょう。多くのクリスチャンにとって日曜礼拝が「お勤め」になってしまっているとしたら、なんと悲しい事でしょう。日本人は「宗教」にはもう、うんざり、飽き飽きしています。日本人がクリスチャンにならない、1つの大きな理由は、礼拝出席や献金の義務などで、「拘束」」されるのを恐れているようです。

今後の日本のニーズに応えるためにも、全国的にスモールグループとしてのエクレシアが広がっていくことを願います。どう考えても今後、三角屋根の教会堂にわんさか、人が集まってくるとは考えにくいです。次にキリスト教ブームが来るとすれば、それはエクレシアがエクレシア(コミュニティ)を取り戻した時なのではないでしょうか?

 

わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。(ヨハネ13:34−35)

 

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意味ある人間関係と祈りによって深まり広がるキリスト中心のコミュニティ

東京メトロ・コミュニティ

Tokyo Metro Community (TMC)

執筆者:栗原一芳

 

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