2015年4月13日月曜日

チャンスとチャレンジ


日本とキリスト教の関係を見ると、3つの大きなチャンスとチャレンジがあった事が分かる。


第一のチャンス

1549年、カトリック、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島の上陸、布教を開始。当時、ザビエルは日本人について、優秀な民族で、間もなく日本は、クリスチャン国になるだろうとの希望的観測を持っていた。布教は成功し、ピーク時には70万人のクリスチャンがいたという。しかし、布教と貿易がタイアップされていた事もあり、日本の権力者側にも警戒感が広がった。ついに、切支丹禁止令が出され、各地に切支丹禁教を告げる高札が立てられた。



「踏み絵」はもとより、幕府は仏教を利用し、すべての国民を仏教の檀家にすることで切支丹撲滅を計った。これを「宗門改め」という。そして、近隣で切支丹が出ると近隣一体となって罰せられる「五人組制度」も制定される。人の顔色を見る日本人の習性がその時から形成されたのだろうか。自分と神という垂直な関係が時として難しい。ともあれ、信仰者は隠れ切支丹として鎖国時代を潜伏し生延びるようになる。クリスチャンは公には日本に「いない」ことになる。






第二のチャンス

やがて黒船到来。無理矢理に鎖国をこじ開けられた日本は、その後、欧化政策を取り、積極的に西洋文化を取り入れる。富国強兵、列強に肩を並べることが目下の目標となる。明治政府は神道を利用し、天皇を中心とした国家づくりをはじめ、今度は、仏教を迫害する。江戸時代には無かった護国神社やヒーローを祀った神社が建て始められる。キリスト教への警戒は少しづつ解かれ、1859年、プロテスタント初の宣教師、聖公会のリギンスが来日。それを皮切りに様々な教団から宣教師が来日し宣教を開始。クラーク博士で有名な札幌、そして熊本、横浜、松江などで宣教が進められた。同志社をはじめ、キリスト教系学校も建てられてゆく。1884年には同志社での学生祈祷会でリバイバルが起っている。明治後期から大正にかけて、キリスト教社会事業も盛んに行われた。石井十次による日本初の岡山孤児院。賀川豊彦による労働組合、生協の設立。救世軍による廃娼運動などが展開された。救世軍は社会事業で名をあげ信頼を得て、創立者のウイリアム・ブース来日時には、明治天皇と面会までしている。


しかし、1923年の関東大震災、続く1929年のニューヨーク発の世界大恐慌により日本の経済は瀕死の状態となった。東北では娘を身売りする家庭まで現れた。大災害があるとナショナリズムが高揚するという。また経済が落込むと戦争の足音がする。第一次世界大戦で負った莫大な戦争賠償金にあえぐドイツは保守派と共産党に二分されるが、やがて国民の支持を得て、ヒットラーの独裁政権が誕生、戦争へ突入してゆく。日本でも、大正デモクラシーの時代でもあったのだが、結局は軍国主義へと雪崩込んでいった。そうすると「国体」に反するということでキリスト教は白い目で見られるようになる。国は思想統制のため、「神社は宗教にあらず」の論法を用いて、神社参拝を強要するようになる。愛国の儀なのだから、日本人なら参拝すべきとなった。当時の植民地であった朝鮮や満州でも神社参拝は強要された。1939年、宗教団体法が制定され、プロテスタント32教派が統合し日本基督教団(政府の御用団体)となる。サタンは「妥協」という手を使った。それに反発し反戦を唱えた牧師達は投獄され獄中死した。



第三のチャンス
日本は敗戦した。太平洋戦争後、GHQは日本を武装解除し、神道軍国主義を解した。GHQの後押しで、ぞくぞくと宣教師達が再び来日するようになる。戦後の教会は青年達で溢れていた。同時に共産主義に傾倒してゆく青年達も多くいた。1956年には、初のビリーグラハムクルセードが行われた。1980年代には、「羽ばたく日本の福音派」という本が出版されるほど福音派が伸びた。2009年 日本プロテスタント宣教150周年記念イベントがエキュメニカル/福音派/聖霊派で共同開催。しかし、2000年を過ぎると頭打ちとなり、爆発的成長は見られなくなる。


第三のチャレンジ?
2008年のリーマンショックからリストラによるホームレスが急増。その暮れには「年越し派遣村」が日比谷公園に出現。格差社会へなだれ込んで行く。2011年の東日本大震災から政権は自民党右派政治へ。2015年は戦後70年の節目の年。首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げ「日本を取り戻す」と宣言。どの時代の日本を取り戻すのか? 政府のメディア統制、ヘイトスピーチ、若者の保守化(留学減、海外赴任したがらない会社員)、ネトウヨ、戦争ができる国へ憲法改正。・・と、どうもきな臭い。



特定秘密保護法、集団的自衛権、憲法改正など大きく国の方向性を変える動きがある中で、安倍内閣に主の導きがあり、日本が間違った方向に行かないように、人権、集会の自由、思想・宗教の自由が続けて守られるように祈っていかなければならない。そのような自由がこの日本にあたりまえに存在していたのではない。見て来たように、日本の「国体」とキリスト教は常にぶつかってきた。「和魂洋才」で技術は西洋から輸入しつつ、心は頑固に閉じたままだ。そして、いつまでたっても「キリスト教は西洋のもの」というイメージが拭えないでいる。どうしたら日本人でありつつクリスチャンのアイデンティティを持てるのか。明治初期のサムライからの改心者、内村鑑三がすでに葛藤した、同じ課題は、今も我々の前にある。

東京オリンピックの後に不動産は急落し、政府の経済政策も限界を迎え、それに首都圏直下地震のような大災害ということになると、排外主義的なナショナリズムが頭をもたげ、閉鎖的になり、思想弾圧が始まらないとも限らない。昼間のうちに働かないと、誰も働くことのできない夜がくる。この数年がチャンスなのかもしれない。


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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
japantmc@gmail.com (栗原)



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