キリスト者の希望
NTライトの著書「驚くべき希望」が翻訳出版されましたね。この本の貢献はとても大きいと思います。多くのクリスチャンが漠然と死んだら天国と思い込み、体の復活まではよく理解していないのが事実ではないでしょうか。「多くのクリスチャンにとってキリストの十字架は地獄の火を免れる『火災保険』に成り下がり、この地上は天国行きのバスの待合室となっている」とのライト氏の指摘は鋭いです。
今でも多くのクリスチャンが死んだら魂が天国に行き、そこで永遠に暮らすと思っているのではないでしょうか?ライト氏は聖書にはストレートに「死んだら魂が天国」と書いてあるところはないと言います。えっ!でも確かに。
だって十字架上の罪人に「あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいます。」(ルカ23:43)と書いてあるでしょう。はい、「死んだら天国に行く」は正確には「パラダイス」です。そしてパラダイスは一時的な「場所」です。ちなみにライト氏はヨハネ14章の「場所」を備えに行くの「場所」は宿泊所であり一時的な場所であることを指摘しています。そこに魂だけが永遠に「いる」のではありません。人間は本来、体と魂でできており、(創世記2:7)魂だけ存在するのは不自然なのです。やがて「からだ」をもらうことになります。パラダイスは一時的な「場所」という意味はクリスチャンには「死後の命の後の命」があるということです。アーメン!
ではピリピ3:20の「私たちの国籍は天にある。」はどうなんでしょうか?
ライト氏はこれは、「国籍=アイデンティティ」の話なのであり、天国へ行くというコンテキストではないと言います。アメリカ国籍の人が宣教師として日本に「住んでいる」ことはあり得ますよね。同じように「天」の国籍を持ちながら、「地」で生活するのがクリスチャンなのです。「私たちはキリストの大使」(IIコリ5:20)でパウロが書いていることと同じです。ピリピ3:20の後半を読むと、天国に「行く」話ではなく、そこからキリストが「地上」に来るのを待ち望んでいるというコンテキストです。
ライト氏の一番大きな貢献はクリスマスよりイースター、すなわち体の復活の再認識でしょう。復活とは魂の永続ではなく、新しい「からだ」をもらうことなのです。ライト氏はこの点を強調しています。
そもそも「福音」とはなんでしょうか?パウロが福音について一番よくまとめて説明している箇所を見ましょう。第一コリント15章を見てみましょう。パウロが最も大切なこととして伝えたことが15章3節から語られています。
確かに3節に「私たちの罪のために死なれた」とありますが、たった1節であり、その後57節まで15章の大部分が「復活」の話しであることに気づきます。明らかに福音の重要部分は「復活」なのです。
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15:13-19:「復活がなかったら信仰も実質のないものになる。」キリスト教が寄って立つ基礎は「復活」です。これが無いなら、キリスト教の中身は空っぽだとパウロ自身が告白しています。
15:20: キリストは眠ったものの初穂として死者の中からよみがえった。
ですから、キリストが復活したことは重要です。しかし、キリストの復活は「初穂」なのであり、後に続くものがいるということです。
15:23「順番がある。まず、初穂であるキリスト。」次に来臨の時、キリストに
属しているもの(クリスチャン)の復活があるのです。それから終わりが来る。この地上の悪の秩序の終わり。精算がつく。新しい次の世界が来る。
復活とは「死後の霊の存続」ではなく、「体の復活」です。
15:40: 「天上の体もあり、地上の体もあり」
15:44:「御霊に属する体」
15:49: 「天上のかたちを持つのです。」
15:50:「血肉の体は神の国を相続できません」朽ちるものは朽ちないものを
相続できない。復活の体をもらって「神の国」に入る。
15:52: 終わりのラッパとともに一瞬のうちに変えられる。いつ変えられるの
か?それは終わりの時、イエス様が来られる時。ラッパのなる時。
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朽ちるものが朽ちないものに変えられる。私たちは変えられるのです!これはラザロの「生き返り」と違います。ラザロはこの肉体のまま「生き返った」のです。キリストは新しい体を持って蘇りました。だから今までとは違う意味で「初穂」なのです。そして、それに続く我々も「生き返り」ではなく、朽ちないものに「変えられる!」のです。恐らく今の原子や分子とは違う物質で造られるのでしょう。ところで我々の知っている物質は宇宙のたった4%。96% が未知の暗黒物質と暗黒エネルギーです。ともあれ、この新しい体は「朽ちない体」つまり老いることがない。朽劣化しない。年取らない。病気が無い。死なないということです!!
単に魂が天国へ行くという話じゃないのです。まだまだその後の話があるのです。朽ちない体をもらうのです!だからライト氏が言うように「驚くべき希望!」なのです。「こうなるかもしれない」、「こうなったらいいね」じゃない。「変えられるのです!」これは大胆な宣言です。これがデタラメならパウロは神の前に嘘をついたことになります。しかし、事実、私たちは「朽ちない体」に変えられるのです。聖書はそうはっきり宣言しているのです。ハレルヤ!
ここで質問です。「クリスチャンが復活の体をもらって何をするんですか?」
パラダイスに魂がずっといるなら、なぜ「肉体の復活」が必要なのでしょうか?
雲の上で毎日ハープを聞いてるだけでしょうか?この朽ちない体を持って活躍する場がなければおかしな話です。
次回は地上にやってくる「御国」の話です。
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意味ある人間関係と祈りで広がるキリスト中心のコミュニティ
Tokyo Metro Community (TMC)
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