2019年7月15日月曜日

御国=メシア王国とは何か?

御国=メシア王国とは何か?

「クリスチャンが復活の体をもらって何をするんですか?」パラダイスに魂がずっといるなら、なぜ「肉体の復活」が必要なのでしょうか?前回、体の復活について学びました。新しい体をもらって「活躍」する場があるのです。

そこで今日のテーマ「御国」です。これだけ大事なテーマである「御国」はあまり明確に語られることがなく、多くのクリスチャンは、よくわかってないのでは無いでしょうか?「御国」=死んでから魂が行く「天国」と思い込んでいるクリスチャンが沢山いるのではないでしょうか? 

天国へ行くのならなぜ、御国を「相続する」という法律用語が使われるのでしょうか?「相続」は普通、土地を所有する時に使う言葉です。英語では「御国」はKingdomです。Kingdomには王がいて、王が治める領土があるはずです。

「事実、天地創造の教義は受肉や復活の教義と合致しており、キリスト教がいかに強固な『物質主義者』であるかということがわかります。クリスチャンにとって、最終的に与えられる天国という未来も、物質的なものです。」(ティム・ケラー/NYリディーマー教会牧師)

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まずイスラエル人にとって「神の国」とは何だったのでしょうか?旧約には「土地所有」の話がかなり重要なテーマとして出てくるのです。それが神の祝福と結びついています。旧約聖書は死んでからの「天国」について書いていない。その代わり、祝福のコンテキストで、約束の地に入ること、この地に割り当て地をいただくこと、「約束の地」を所有することが多く書かれています。地上に成就する「メシア王国」が旧約のメインテーマで、そして、これは旧約的、ヘブル的な思想なのです。


祝福には土地所有が含まれる。
申命記11:8 「あなたがたは、今日、わたしが命じる全ての命令を守りなさい。そうすればあなたがたは強くなり、あなたがたが渡って行って所有しようとしている地を所有することができ・・・」つまり、祝福とは地を受け継ぎ、所有し、そこで繁栄すること。呪いとは離散、根絶やし。


アブラハム契約=アブラハムの子孫が受け継ぐ土地
「その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。『わたしはあなたの子孫に、
 この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。』
                         (創世記15:18)


  ちなみにこれはダビデ王国時には、この範囲の領土は成就されてない。


ダビデの子孫による「メシア王国」の預言
IIサムエル7:16 ダビデ契約=地上に成就する「メシア王国」の預言。
「わたしはあなたの身から出る世継ぎの子を、あなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼は私の名のために1つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」

ダニエル 7:14、「この方に、主権と栄光と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語のものたちがことごとく彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。


メシア王国を聖徒たちも共に受け継ぐという預言
7:18:「いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世よ限りなく続く。」

7:21−22:「わたしが見ていると、その角は、聖徒たちに戦いを挑んで、彼らに打ち勝った。しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、裁きが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。」

7:27「国と主権と天下の国々の権威とは、(今、サタンが支配している権威)いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。全ての主権は彼らに仕え、服従する。」 

旧約預言のハイライトは「メシア王国」。まずこれが死んで魂が行く「天国」ではないことを確認する必要があります。だからバプテスマのヨハネが「天の御国」が近づいたと聞いた時、ユダヤ人は死んでから行く「天国」をイメージしたのではなく、地上に成就する「メシア王国」をイメージしたはずです。

バプテスマのヨハネは宣言しました。(マタ3:2)「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」そして、イエス様も公のミニストリーに入って、開口一番「悔い改めなさい、天の御国は近づいたから。」(4:17)と同じメッセージを語っています。イエスは「御国の福音」を宣べ伝えた。

「御国」とは、KingdomKingdomにはKingがいる。そして彼の領土があるのです。そうでなければ、「王国」とは言えませんね。イエスの福音は「王国」についての宣言でした。イエスの昇天間際まで弟子たちはイスラエルの復興=メシア王国を待ち望んでいた様子がわかります。(使徒1:7)それに対してイエスの答えも、メシア王国の地上成就の否定ではなく、父がその時を定めているからあなた方はいつかどんな時か知らなくていいいという答えでした。


イエスご自身が語るメッセージのテーマも死んでから行く「天国」のことではなく、到来する「神の国」のことでした。(使徒1:3)そうでなければ、主の祈りは「天国へ行けますように!」だったはずですが、実際は逆方向の祈り、すなわち「御国を来らせ給え!」となっています。「御国」をどこに来たラスのですか?この地です。これは単に絵に描いた餅なのでしょうか?本当に地に成就する「神の国」が到来すると考える方が妥当なのではないでしょうか。


イエスは再びこの地上に「やって来る」のです。私たちの最終目的が「天国へ行く」ことならば、イエス様は再び地上に戻ってくる必要は無いのです。黙示録は「見よ、わたしはすぐに来る。」「アーメン主イエスよ、来てください!」で終わっています。「あなたのところに行かしてください。」ではない。イエスは地上に来る必要があるのです。悪を滅ぼし、ご自分の王国を確立するために。

そして、その「神の国」を我々は相続(土地所有)するのです!黙示録20章には、地上に成就するメシア王国(千年王国)のことがちゃんと書かれています。次回はその話です。
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