2020年7月9日木曜日

地上に実現する千年王国


黙示録は啓示録
黙示録、英語では”Revelation”. Revealから来ているが、Revealは「暴露する」、「覆いを外す」という意味だ。隠すこととは正反対なのだ。「この預言の言葉を封じてはならない。」(黙示22:10)とある。黙示録は秘められた書なのではなく、むしろ奥義を明らかにする書なのだ。そもそも聖書は神の言葉であり、神の啓示の書である。神にはどうしても人に伝えたい事柄がある。そして、メッセージは明確でなければ伝わらない。曖昧なことを言っていては内容が正確に伝わらない。聖書には旧約と新約があるが、この「約」は「契約の約」すなわち、「旧い契約」と「新しい契約」という意味だ。聖書の神は「契約の神」である。(創世記15:18)


曖昧な契約書?
契約書の内容が曖昧だったらどうだろう?読む人によって解釈が違うとしたらどうだろう?どうやって取引できるのだろう。不動産売買契約をするとき、「1坪100万円の土地を50坪売却します。」という申し出に、バイヤーが「100万円とは『いい値段で売る』という比喩だろう。『売却』とは言っているが本当は『賃貸』という意味だろう。」と言うだろうか?それでは契約は成り立たないのだ。なるべく正確に詳細に書かれ、それに同意しなければ契約は成り立たない。




ヘブル書でイエスが「一度きり」(7:27)で「永遠の贖い」(9:12)により「完全な救い」(7:25)を提供したと書かれていたら、額面通りに受け取らねばならない。「完全」とあるが、「この意味は95%で、残り5%は人間が努力によって勝ち取らねばならないのだ。」あるいは「『永遠』とあるが、そんなことは常識的に考えられないので、この意味は『3年間保証』と言うことだろう。」と教えるなら、それは異端になる。神の言葉を曲げ、十字架の価値を下げることになるからだ。神が人にメッセージを語りたいのに、解釈不能な文章で書くだろうか?つまり、聖書は字義通りの解釈をし、客観的なメッセージを受け取ることが重要なのだ。


終末論の共通認識と違い
キリスト教界では各論の違いはあっても、

1.      キリストが再臨する。
2.      サタンとその諸勢力は滅ぼされる。
3.      神が統治する新天新地が来る。

の3点は共通項。

1.      千年王国の解釈
2.      再臨の時期の解釈 (携挙の時期含め)

に関しては意見が分かれる。ここでは「千年王国」に関して見ていこう。ここで大事なのは「千年王国」と「新天新地」を区別することだ。ある人たちは「千年王国」を軽視し、あるいは、すっ飛ばして、御国=新天新地と考える。しかも、「新天新地」とは、「今」の世と継続性があり、「今」の世がリニューアルされたものだと考える。しかし、聖書を詳細に読んでいくと、この2つはそれぞれ別の目的を持って存在し、違うものであることが明らかになる。


「千年王国」と「新天新地」を区別する。(黙示録20章と21章)

黙示録21章の「新天新地」の「新」は「カイノス」が使われており、これはギリシア語辞書を見てみるとnew quality, unused, unknown, unheard of という意味で「質の違う新さ」、見たことも聞いたこともない、今まで無かった「新さ」という意味であることが分かる。これを単に「今」の世のリニューアルと解釈するのは難しいだろう。これは天的な世界なのだ。

旧約預言のハイライトは「メシア王国」、すなわちメシアが「王」として「この地」を治める千年王国。そして新約のハイライトは新天新地=神と子羊の王国。 この2つの区別が大事だ。

新天新地に「ない」もの
1.      海がない。(21:1)以前の天と地は過ぎ去っている。
2.      今のエルサレムはない。天から下るエルサレム (21:2)
3.      死、叫び、悲しみ、苦しみがない。
4.      呪われるものがない。(21:4、22:3)
5.      物理的な神殿がない。(21:22)神と子羊が神殿。
6.      太陽も月もない。(21:23)神の栄光が光。
7.      夜がない。(22:5)呪いとしての闇がない。

あるもの
1.      神のみもとから出て天から下ってきた新しいエルサレム
(一辺が2220キロの立方体の都市)都はガラスに似た純金製。
2.      神の幕屋が人とともにある。神ご自身が彼らとともにいる。
3.      神の栄光が都にある。
4.      いのちの水の川 (22:1)神と子羊との御座から出る。
5.      いのちの木(22:2)かつてエデンの園にあった。
6.      神の御顔を仰ぎ見る。旧約では神を見ると死ぬとされていた。全ての呪いがないので、神を直接仰ぎ見ることができる。



黙示録21〜22の新天新地は天的なものであり、太陽や海が無いなど、自然環境も全く異なっていることが分かる。「永遠の秩序」と言える。

これに対して20章の「千年王国」は新しい秩序になる前の21:1で言われている「以前の天と地」、すなわち現在の天と地である。千年王国は「この地上」に成就する旧約預言の「メシア王国」であることがわかる。この地上にあるので、太陽も月もあるし、海もある。エゼキエル47章では水が神殿の「敷居の下」から流れ出ている。天のエルサレムでは神殿がないので、同じような描写だが光る命の川は直接、「神と子羊の御座」から出ている。(22:1)そこが違う。だからエゼキエルの預言は、千年王国での成就と思われる。また、エゼキ47:8では水は海に流れている。新天新地には海が無い。また、エゼキエル47:12と黙示録22:2は非常に似た描写になっているが、黙示録には、はっきり「いのちの木」とあるが、エゼキエルでは「あらゆる果樹」となっている。従ってこれは地上に成就する千年王国の描写であると言える。

黙示録21章からの新天新地では、神ご自身(父なる神)が前面に出てきており、キリストの統治というより、「神と子羊」という連名で統治されている。確かに「彼ら(聖徒)」も永遠に王(22:5)なのだが、22:4「神の御顔を仰ぎ見る」という、今までにありえない次元になっている。それはメシア王国という政治的王国のイメージを超越したイメージだ。千年王国では復活の体を持つキリストを仰ぎ見ることはできるだろう。しかし、この段階ではまだ、「神の御顔を仰ぎ見る」という表現はない。


「地上的メシア王国」は旧約聖書(ヘブル的思想)の主張
まずイスラエル人にとって「神の国」とは何だったのか?旧約には「土地所有」の話がかなり重要なテーマとして出てくる。それが神の祝福と結びついている。旧約聖書は死んでからの「天国」について書いていない。その代わり、祝福のコンテキストで、約束の地に入ること、この地に割り当て地をいただくこと、「約束の地」を所有することが多く書かれている。地上に成就する「メシア王国」がメインテーマで、そして、これは非常に旧約的、ヘブル的な思想である。

2019年7月の「御国とは何か?」の記事で詳しく説明しているので、そちらをご覧頂きたい。



旧約預言のハイライトは「メシア王国」。まず、これが死んで魂が行く「天国」ではないことを確認する必要がある。だからバプテスマのヨハネが「天の御国」が近づいたと聞いた時、ユダヤ人は死んでから行く「天国」をイメージしたのではなく、地上に成就する「メシア王国」をイメージしたはずである。

イエスの昇天間際まで弟子たちはイスラエルの復興=メシア王国を待ち望んでいた様子がわかる。(使徒1:7)それに対してイエスの答えも、メシア王国の地上成就の否定ではなく、「父がその時を定めているからあなた方はいつかどんな時か知らなくていいい。」という答えだった。イエス自身もメッセージのテーマは死んでから行く「天国」のことではなく、到来する「神の国」のことだった。(使徒1:3)そうでなければ、主の祈りは「天国へ行けますように!」だったはずだが、実際は逆方向の祈り、すなわち「御国を来らせ給え!」であった。これは単に絵に描いた餅なのだろうか?本当に地に成就する「神の国」が到来すると考える方が妥当である。


なぜ法律用語が使われているのか?
「メシア王国」はこの地上に成就しなければならない。天国へ行くのならなぜ、御国を「相続する」という法律用語が使われているのか?「相続」は普通、土地を所有する時に使う言葉。それはエデンの園で一時的にサタンに奪われたこの地上の統治を取り戻すことでもある。もう一度、キリストとの共同相続人(ローマ8:17)としてキリストと共に約束のメシア王国を相続し、統治しなければならない。地上にかつてあった「エデンの園」の回復は千年王国で成就する。(イザヤ11:6〜9)これで贖い回復は完了する。黙示録21−22の新天新地は贖いとしてではなく、新しい段階、展開と考えるべきだろう。つまり、元あった地位にまで戻し、さらにいいもの(新しい次元)を提供するという神の御性質から溢れ出てきているものと考えられる。


今が「千年王国」?
ある人たちは黙示録の「千年王国」は比喩であり、あえて言えば、今が「千年王国」だとする。キリストは十字架で勝利し、天から教会を通して地を治めているのだと。しかし、重大な問題は「サタン」が縛られていないということだ。
(黙示20:2−3) サタンは縛られてはいない! それどころか今、大活躍なのだ。今は「千年王国」ではない!ここは戦場だ。だからパウロはエペソ6章で、悪魔に対しての霊的戦いへの備えの話をしている。この霊的武具で唯一攻撃に使われる武器が「御霊の剣」すなわち、「神の言葉=聖書」である。イエスご自身も荒野の誘惑の際、御言葉でサタンを退治している。天から追い出されたサタン(黙示12:9)は「自分の時が短いことを知って激しく憤り・・」(黙示12:12)獲物を食い尽くそうと探し回っている状態なのだ。(Iペテロ5:8)



また、福音が宣べ伝えられ、地上に御国(千年王国)が実現した後、キリストの再臨がある(後千年王国再臨説)というのも、ますます混迷する世界情勢や、聖書に記されている終わりの日の背教を鑑みる時、再臨前に御国が成就するとは信じがたい。また、キリストご自身の「人の子が来た時、はたして地上に信仰が見られるでしょうか?」(ルカ18:8)のお言葉に反している。

また、ある人は「『千年王国』は黙示録だけに、ほんの2−3行出てくるものなので文字通り受け取るのは如何なものか?」という。しかし、千年王国が記されている黙示録には、「また、この預言のことばを少しでも取り除くものがあれば、神は、この書に書いてある命の木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」(黙示22:19)とある。

天に成就する「千年王国」?
先日、Youtubeで面白い解釈を聞いた。ハルマゲドンの戦いで地上には悪人がいなくなる。そして再臨時に信者は皆、天に上げられるので、地上には人間がいなくなる。サタンは誘惑する対象がなくなった地上に千年閉じ込められ(天からはすでに追い出されている。)その間、天にてキリストを王とする千年王国が実現するという。この場合、問題はサタンが再度、解き放たれた後、エルサレムを攻撃してくるのだが、(黙示20:8−9)人のいない空っぽのエルサレムを攻撃するのだろうか?この解釈だと天から降ってくるエルサレムを攻撃するのだという。そうなると20章から21章の時系列が混乱する。だいいち、新天新地にサタンがまだいることになってしまう。人々が地上にいなければ、エルサレムへの攻撃は意味がないのだ。つまり、反キリスト軍がエルサレムを攻撃するためには、地上に千年王国が実現していなければならないということになる



なぜキリストはもう一度「来る」のか?
〜黙示録20章の不思議〜
上記の間違った解釈ならば地上にキリストが戻る意味がない。天からの火で竜と獣と偽預言者と反キリスト軍を焼き尽くせばいいのであって、地上に降り立つ必要がない。携挙だけで済んでしまう。また、今が千年王国という立場を取っても、同じことで、地上再臨は必要ない。なぜなら地上の「千年王国」の時代(この解釈では千年王国とは今の時代)が終わったら空中再臨して信者を携挙すれば、終わりだ。そして、すぐに新天新地が始まればいい訳だ。

実際、黙示録20章は不思議な章だ。なぜ19章で終わらないのか?ハルマゲドンをもって終了で、いいではないか?19章に続き、すぐに20章20節のサタンへの裁き、白い御座の裁き、そして21章の新天新地でいいではないか?
なぜわざわざ「キリストと共に千年間王となる。」(黙示20:6)が必要なのか?もうすぐ「新天新地」が来るなら、それでいいではないか?なぜ千年間なのか?なぜ、すぐ永遠ではいけないのか?

千年間という期限限定なのは、永遠の新天新地が始まる前の「地上」の支配だからだ。キリストが再臨されるのは、地上を支配するからだ。ヨハネの黙示録では20章に出てくる地上に実現するメシア王国(千年王国)への伏線として、ヨハネは、書頭、キリストの紹介をこのようにしている。

「また忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから・・・」(黙示1:5)

また、患難期最中、第7のラッパが吹き鳴らされる。そして、キリストの勝利宣言、御国の到来宣言が前もってなされる。そこでもこのように書かれている。

黙示11:15この世の王国はキリストのものとなった。」あの世では無い、「この世」だ。

わざわざ誤解の無いように「地上」「、この世」と書いている。つまり文字通り、キリストは地上の王となるという意味だ



どう変わる生死観?
なぜ、このことを長々論議してきたかというと、これにより私たちの生死観が180度変わるからだ。「死んで魂が天国に行き、そこでイエス様とずっと過ごす。」のではない!地上に戻り、キリストと共にこの地を治めるのだ。もし、七年間の患難時代の直前に「携挙」されるとすると、たったの7年間後、地上に戻ってくるのだ。しかも、「復活の体」を持って。戻ってこないなら「体」をもらう必要もない。「霊」が永続すればいい。しかし、戻ってきて王として地を治めるには「体」が必要なのだ。この人生80年で全てが終わるのではない!これからが本番なのだ。だからパウロはこう語った。

「眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが他の望みのない他の人々のように悲しまないためです。イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスと共に連れてこられるはずです。」 ( Iテサロニケ4:13—14)



まず、信者は「死ぬ」のではない「眠る」のだ。葬式の時、他の望みのない人たちのようには悲しまないで欲しい!イエスが地上に再び戻る時、イエスにあって眠った人たち(信者)を連れてくる。ユダ14節にも「主は何万もの聖徒を引き連れてくる。」とあり、黙示19:14、来臨時のキリストに従う「天の軍勢」は複数(armies) なので、「御使の軍勢」と「聖徒の軍勢」の合同軍と考えられる。彼らはキリストと共に地上に降り立ち、御国=千年王国を治めるのだ。


こちらも併せてご購読ください。
●「御国の福音」2018年10月7日

  「御国=千年王国とは何か?」2019年7月22日

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執筆者:栗原一芳


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